6月25日

産経抄

 その島の存在が日本人に知られるようになったのは、江戸時代の初め頃である。紀州から江戸に向かう途中に遭難、漂着したミカン船が発見した。生還者の報告を受けて、幕府は早速、探検船を送り出す。島に上陸した一行は、測量を行い地図を作製した。

 ▼この時、日本領として確認した意味は大きかった。幕府が当時付けた名前は「無人島(ぶにんじま)」である。ところが、いつしか島は「小笠原島」と呼ばれるようになった。ミカン船の漂着よりはるか以前に、小笠原貞頼(さだより)なる武将が発見した、との伝説が広まったからだ。

 ▼戦後、米軍の軍政下に置かれていた小笠原諸島が日本に返還され、東京都に編入されたのが昭和43年6月である。明日26日、返還50周年を迎える。小笠原周辺の海域は、日本の排他的経済水域(EEZ)の約3割を占める。

 ▼地政学上の重要性は増すばかりである。鉱物資源や水産資源についても、大きな開発可能性を秘めている。数年前は、中国漁船によるサンゴ密漁に悩まされた。そこで海上保安庁では、巡視船配備を計画していると、昨日の小紙は伝えていた。航空自衛隊も移動式警戒管制レーダーの展開基盤の整備を予定しているという。

 ▼実は小笠原諸島の価値の大きさに気づいたのは、欧米諸国の方が先だった。捕鯨船が頻繁に立ち寄り、19世紀に入ると、ハワイから移民が入った。幕末の「黒船来航」後は、米英両国が領有宣言するに至る。

 ▼慌てた幕府は、太平洋横断を果たしたばかりの軍艦咸臨丸を派遣する。外国奉行、水野忠徳(ただのり)を長とする一行は、島民たちと粘り強く話し合い、島々の綿密な調査を行って、見事小笠原諸島の「回収」に成功した。領土を守るために取った、先人たちの迅速果敢な措置を見習いたい。