論説委員・山上直子 「大正」とは何だったのか

日曜に書く

 大正時代(1912~26年)とは歴史の踊り場ではなかったか。そして、そこには現代の「起点」があった-。

 そんな視点がおもしろい本を手に、著者の鷲田清一・京都市立芸大学長と山室信一・京都大学名誉教授の対談を聴いた。

 「大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る」(講談社選書メチエ)という本のページをめくり、職住分離の給与生活者たるサラリーマンが出現したのもこの時代かぁ…と思ったとき、折しも大阪の地震で新淀川大橋を歩く人の波がテレビに映し出されていた。

 「おもろいな、大正」

 「最初から大正時代に着目したわけではないんです。でも、議論をする中で、昇りゆく人と降りゆく人が交差する、階段でいえば踊り場のような…われわれにとっての『大正』という時代もまた、そんな場だったのではないかと。おもろいな、大正と思います」

 やわらかな関西弁で鷲田さんは、議論の柱となった「踊り場」という概念を説明してくれた。同書は、サントリー文化財団の研究会「可能性としての『日本』」の成果として先月出版。子供のころ階段の踊り場は常に遊び場だったといい、「これ、関西発のはやり言葉にしてほしいなぁ」と笑う。

 明治でもなく昭和でもなく、大正だ。研究会では、「現代」社会の祖型がこの時代に集中して現れていると考えた。いわく、大衆文化や消費社会、メディア社会、「群衆」の出現、「地方」への関心、さらにいえば職住が離れたライフスタイルのサラリーマン、職業婦人や専業主婦といったものである。

 少し正確にいうと、大正時代を含む1910年代から1930年代。その間、第一次世界大戦の参戦(1914=大正3年)、米騒動(1918=同7年)、関東大震災(1923=同12年)などが起きた。

 また「婦人公論」や「主婦之友」、講談社「キング」などが創刊され、東京放送局がラジオ本放送を開始した時代でもあった。鉄道の沿線開発として関西で宝塚歌劇団の前身・宝塚唱歌隊が設立されたのも、東京で山手線が環状運転を始めたのも大正時代だ。

 サラリーマンの出現

 “民”という視座では、山室さんによる「民生-生存権・生活権への出発」という考察も興味深い。昨年、民生委員制度が100周年を迎え、大正6年の岡山県「済世顧問」制度と翌7年の大阪府「方面委員」制度に始まるという。民の生にかかわる問題が取り上げられるようになったのもこの時代だった。

 重要なのは、その「踊り場」にはそこで生まれたものだけでなく、未発に終わったものも雑多にあって、その可能性に目を向けてみることかもしれない。

 現代の起点としての「大正」を考えてみた。自分のこととしてまず興味を引かれたのは、帰宅困難者という現象を見たばかりの、サラリーマンという存在の出現についてだ。

 以下受け売りだが、明治以来、徐々に社会構造は変容していたが、第一次世界大戦の特需とその後の不況で、都市への大量の人口流入がおきる。それはやがて企業組織に組み込まれ、“通勤”が人々の労働の主たる形態となった。その都市民たちのニーズに応えるように、娯楽や消費の装置が生みだされていく。

 震災後を考える

 考えてみれば、利便性に優れた「エキナカ」ビジネスは、今では当たり前の光景だが、通勤通学客がいなければ成り立たない。ターミナルデパートの最初は、大正9年に白木屋が阪神急行電鉄梅田駅構内に出張売店を出したこと-とされているそうだ。

 また、関東大震災では、根拠のない風説、流言の広がりで暴動や事件が起きた。約100年を経て東日本大震災でもあったし、そしてつい先日も「大阪でシマウマ脱走」などという噂が飛び交った。情報化社会でその影響は限定的かもしれないが、過去に学ばなければならない。

 鷲田さんは、大正という踊り場を考えるなかでの「たくらみ」の一つが、「震災後の日本社会を考える」ことだという。著者は他に、詩人の佐々木幹郎さん、東京大学教授の渡辺裕さんで、震災や趣味・娯楽といった論点もおもしろい。

 来年、元号が変わる。それ自体の意味はともかく、やがてそこに何らかのイメージを付与するのは日本の文化だろう。明治150年の年に、あえて大正を考えるのも悪くない。(やまがみ なおこ)