5月27日

産経抄

 古典『平家物語』に〈瀬まくら大きに瀧(たき)鳴ってさかまく水もはやかりけり〉とある。「宇治川の戦い」の一節である。以前、小学6年生の国語教科書に口語訳が載った。〈浅せにくだけるひびきはたきのよう。さかまく水は、矢のように流れ下る〉。

 ▼これを筆鋒(ひっぽう)鋭くこき下ろしたのは、作家の丸谷才一さんだった。「間の抜けた訳文に、声張りあげて読むだけの値打ちがあるものか」と『日本語のために』(新潮文庫)に書き留めている。理解はしやすい。さりとて古典の味わいはない。口語体のジレンマである。

 ▼短文投稿や若者の略語が大手を振る社会ではしかし、文語体の生活圏もかぎられてきた。国家の基本をなす六法の中で唯一、片仮名交じりの文語体表記を残す商法が口語体に改正されるという。泉下の丸谷さんが眉をひそめるとしても、時代の要請には逆らえない。

 ▼商法の成立は明治32(1899)年にさかのぼる。改正法では、成立当初になかった航空運送のルールも新設されるが、約120年前に作られた規範がいまも商慣行の土台として通用することに感服する。「明治150年」の節目に頭(こうべ)を垂れたい先人の余徳である。

 ▼ちなみに「現代仮名遣い」は昭和21年11月に施行され、現行憲法も当初から口語体で書かれている。思い浮かぶのは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の前文である。文法上の問題はさておき、驚くほど厳しさを欠いた国際感覚には、鼻白むほかない。

 ▼憲法は、その国の顔といってもよい。世界に侮られぬため、時代に合ったものを構える。それが国の責務だろう。〈文語に口語のやさしさを/口語に文語のきびしさを〉(堀口大学『僕の文法』)。寛厳よろしきを得るのはいつの時代も難しい。