人の数だけ子育てはある 必要に応じて預けられる保育園を

中江有里の直球&曲球

 与謝野晶子といえば、歌集「みだれ髪」、反戦詩「君死にたまふことなかれ」が浮かぶ。今年、生誕140年を迎えた晶子の、歌人にとどまらない活動に驚いた。

 夫・与謝野鉄幹との間に10人以上の子をなし、子育てしながら多くの評論を新聞、雑誌に寄せた。著書『愛、理性及び勇気』(講談社文芸文庫)に収められたのは、晶子の生活から生まれた実感だ。

 当時女性にはなかった選挙権、被選挙権を持つ意味を論理的に綴(つづ)った「選挙に対する婦人の希望」、毎日7、8紙の新聞を読んで得た「私の新聞観」、学校教育や家政法などテーマは多岐にわたる。

 同時代に活躍した平塚らいてう、との間で繰り広げられた「母性保護論争」は興味深い。いうなれば、2人はワーキングマザー。しかしその考え方には相違がある。

 子供は社会のもの、したがって母性は社会から守られるべきだ、と主張した、らいてうに対し、晶子は男女ともに徹底した自立を促し、社会に母性保護を求めるべきではない、家庭の責任をぞんざいにする男性を批判し、父性の保護を訴えたという。

 もし2人が現代にいたら、らいてうは保育園をどんどん作って待機児童を減らそう、そうでなければ女性は社会進出ができない、と言ったかもしれない。一方、晶子は父母は平等に働き、同じく育児参加できるような社会を目指そう、夫の勤務先に出向いてそう訴えるような気がする。

 これは今もって答えの出ない問題だ。読み比べて、らいてうの主張も晶子の主張にも一理ある。時代の先端にいた歌人と活動家が仕事と家庭を両立し、感じた問題を提起したことにより、社会では様々(さまざま)な意見が飛び交ったそうだ。

 現代も一つのニュースから人々の議論が始まる。そうした風潮に危惧するのは論破した側が絶対的な答えとなることだ。子育てのあり方、考え方は人の数だけある。必要なのは絶対的な答えではなく、困っている人が救われる社会の実現だ。

 必要に応じて預けられる保育園があれば、働く親はもちろん、病気や火急の用が起きても安心できるのだから。

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【プロフィル】中江有里(なかえ・ゆり) 女優・脚本家・作家。昭和48年、大阪府出身。平成元年、芸能界デビュー、多くのテレビドラマ、映画に出演。14年、「納豆ウドン」で「BKラジオドラマ脚本懸賞」最高賞を受賞し、脚本家デビュー。フジテレビ「とくダネ!」にコメンテーターとして出演中。