【風を読む】悲しい気持ちで 論説副委員長・別府育郎 - 産経ニュース

【風を読む】悲しい気持ちで 論説副委員長・別府育郎

 仕事なので、毎日、新聞を読む。自社の記事にも他紙の記事にも感心させられるものが多々ある。何のお付き合いもないが一方的にファンと慕う他社の記者もいる。新聞っていいなと、わが仕事ながら思うこともある。ただし読むだけで悲しい気持ちになることだってある。
 ある新聞で4月、川柳の投稿欄に、こうあった。
 「拉致拉致と力む割には他人(ひと)任せ」
 選者評には「無策の末に下駄(げた)を預け」とあった。同日付で掲載された7句のうち3句は「フロリダでちぎれるほどにしっぽ振る」など、日米首脳会談を揶揄(やゆ)するものだった。とすればこの句も、安倍晋三首相をからかいたかったのだろう。
 腹立たしいを通り越して、悲しくなったのだ。
 拉致は、到底許し難い、北朝鮮の残酷な国家犯罪である。解決に向けて力み、国際社会の協力を取り付けるに、何ら恥じるところはない。
 加えて拉致被害者の家族は機会を重ねて米大統領らに協力を要請してきた。米朝首脳会談を前に、横田めぐみさんの弟や、田口八重子さんの長男が渡米して拉致の解決を訴えたばかりだ。それが被害者奪還の助けになると信じるからである。
 世の中には、からかいの対象として許されるものと、悪いものがある。そう信じる。投稿者を責める気はないが、この句を選んだ編集者はなじりたい。作者にその意図はなくても、被害者家族をも愚弄する句と読まれることを想像すべきだった。
 拉致は、北朝鮮の犯罪であるとともに、日本社会の無知、無関心が発覚を遅らせ、被害を広げた事件でもある。
 その大きな責任を、本紙を含む新聞が負う。
 社会部の先輩記者、阿部雅美による長期連載「私の拉致取材 40年目の検証」は、その反省が大きな柱となっていた。決してスクープの手柄話ではなく、もっと書けたはずであるとの、痛切な悔恨の記だった。
 拉致に対しては、新聞を含む社会全体が、もっと本気で力むべきなのではないか。