【産経抄】5月9日 - 産経ニュース

【産経抄】5月9日

 長く二足のわらじをはいていた。総合化学メーカー、昭和電工の技術者として残業は当たり前、朝は誰よりも早く出社した。週に2、3回は飲み屋で部下の愚痴も聞いた。
 ▼すでに絵本作家として、「だるまちゃん」シリーズなどベストセラーも出していた。もっとも、絵筆を持てるのは、帰宅後と休日、通勤電車の中だけである。ある日、やりたいことを書き留めたカードを数えたら200枚もあった。1日10時間かけても、10年以上かかる。定年を待っていられない、と役員を目前にして退職、47歳で専業作家となった。
 ▼19歳で敗戦を迎えた。戦意高揚をあおっていた大人たちは、手のひらを返すように、民主主義の時代を謳歌(おうか)していた。これからは大人ではなく、子供たちに尽くそう。そんな思いで始めた紙芝居の活動が、出発点となった。
 ▼子供たちは興味を失うと、「つまらない」とも言わずにいなくなる。どうしたら、彼らの心に届くのか、試行錯誤こそが修業だった。「子供たちが僕の先生だった」。後年、弟子入りを希望する若者に決まってかける言葉だった。
 ▼加古里子(さとし)さんが92年の生涯で残した作品は、600点を超える。『からすのパンやさん』のようなユーモラスな作品から、工学博士の知識を生かした科学絵本まで、作風は幅広い。鬼ごっこや絵描き遊びなど、子供文化の研究者でもあった。今年1月には、沖縄や東日本大震災の被災地にささげる絵本も出している。
 ▼旧制高校理科の国語担当は、中村草田男だった。昭和期を代表する俳人から、手ほどきを受ける幸運に恵まれた。里子は、もともと俳号である。戦後、俳句から離れ、童話作家でもあった師との再会は果たせなかった。数少ない悔恨の一つであろう。