こどもの日 見守る大人の目が必要だ

主張

 風薫る5月の空を泳ぐ鯉幟(こいのぼり)は、子供の健やかな成長を願う家族の象徴ともいえる。昨今、その鯉幟を立てる家はめっきり減ったが、まるで歩を合わせるかのように、大人の優しいまなざしに守られることの少ない子供が急増している。

 保護者による虐待やネグレクト(育児放棄)、学校でのいじめといったニュースに胸を痛めない日は一日もないほどである。周囲や地域の関心が薄れるなかで、子供が発するSOSのサインも見落とされたまま悲しい結末に至った事件も多い。

 大人が子供を見守らない社会になってしまったのだろうか。例えば電車内などで、若い両親がスマートフォンの画面に夢中になり、ベビーカーの乳幼児の顔をのぞこうともしないのは、決して珍しい光景ではなくなった。

 幕末から明治の頃に来日した欧米人が、日本ほど子供をかわいがり、子供に深い注意を払っている国はないと驚きの目を見張ったのも、もはや遠い昔話か。

 江戸の町では迷子や捨て子、孤児らを町内で見守り、育てていく良風もあったという。地域の絆の喪失が叫ばれる現代では考えられないことであり、今の子供は江戸の頃よりも厳しい環境に置かれているといえるのかもしれない。

 そんな現代の風潮にあって注目されるのが、地域の子供たちに無料や低額で食事、居場所を提供する「子供食堂」である。民間の調査では全国で2千カ所を超え、利用者は年間約100万人と推定される。貧困家庭の子供のほか、家族一緒に食事がとれない「孤食」がちの子供も利用している。

 食事が本来、各家庭の責任でなすべき営みであることは言うまでもない。ただ、実際にはそれがかなわない子も多く、その子らにとっては、自分に注意を払ってくれる大人が地域の身近にいることが何よりの安心感につながっているものと思われる。子供の健全な成長にこの安心感は欠かせない。

 家庭の役割を子供食堂に頼らざるを得ない現実には重いものがある。一方で子供食堂が、大人社会で希薄化した地縁を、子供を通じた人間関係のネットワークで再形成させる力ともなり得ることに期待も膨らむ。

 わが子をはじめ未来の日本を担う子供を家庭や地域でどう育てるか。鯉幟を仰ぎながら、そんなことにも思いを寄せてみたい。