論説委員・清湖口敏 する?しない?どっちやねん

日曜に書く

 俳句は若い頃に高浜虚子を師系とする結社に属して句作に励んだことがあるが、川柳の方はごくわずかの投句経験があるにすぎない。とはいえ関心がないわけではなく、川柳マガジンという月刊誌を今でも時々買っては、楽しく読んでいる。

 強い印象を受けメモに書き留めた句も相当ある。例えば〈哲学の道にお金が落ちている〉(村田倫也)。こういう句に出合うと、俳句にはない“柳味”のすごさに圧倒されてしまう。

 前田咲二さん

 西田幾多郎先生なら金を拾って交番に届けたろうか。それとも思索の邪魔になるからと無視し、「吾(わ)が行く道を吾(われ)は行くなり」を決め込んだろうか。学問と金。聖と俗。これらは「絶対矛盾」であるのか。金や俗を避けて真理や人間の探究は成り立つのか…と考えるうち、この句は禅の公案そのものではないかと気づかされたのだった。

 新聞の川柳欄にもよく目を通す。本紙の「テーマ川柳」(復本一郎選)は言うに及ばず、読売新聞の「時事川柳」も大好きである。「前田咲二(さくじ)」の名を知ったのも大阪在勤時に時事川柳欄で目にしたのがきっかけで、同欄の選を担当していた。

 読売東京発行版の時事川柳とは選者が別だったから、東京へ転勤して以降は、川柳マガジンはともかく新聞で咲二さんの名を見ることは久しく途絶えていた。その人の訃報を読売紙上で知ったのが昨年10月のことである。御年90歳だった。

 一面識もない咲二さんに惚(ほ)れ込んだのは、平成25年3月号の川柳マガジンの企画「前田咲二特集」で咲二さんの数々の川柳に接してからである。背筋のしゃんとした雄々しい句風に、えも言われぬ感動を覚えた。

 人物像も、そこに書かれた略歴以外はほとんど知らないが、時事川柳専門の「川柳瓦版の会」の会長を務めたというから、柳壇でもかなりの実力者だったことは想像に難くない。

 瓦版の会といえば、『道頓堀の雨に別れて以来なり』(田辺聖子著)の評伝でも知られる高名な川柳作家、岸本水府が創立した大阪の名門結社である。それを率いた咲二さんなら、句集の一つや二つは出ていようと思いきや、国会図書館にも見当たらなかった。句集を出さないのが流儀なのかもしれない。

 靖国で会う約束

 そこで先の特集から数句を選び、鬼籍に入った人から直接お叱りをこうむることはなかろうと不謹慎にも高をくくって、自分なりの解釈を加えてみた。

 〈十一桁をわたしの戒名にしよう〉住民票コードこそが「私が私であること」の証明だと。神仏に願掛けするときも、マイナンバーを忘れずに唱えておきたい。〈円周率3では丸くなれぬ月〉不適切なゆとり教育を斬るのに日本人が愛(め)でる月をもってきた。ゆとりが風流を損ねるとは何とも皮肉ではないか。

 〈日本語はいいね「一杯やりますか」〉チョイト「一杯」のつもりが二日酔いになっても、日本語のせいではありません。

 〈若い女と妻を見比べたらあかん〉〈黒木瞳が死んでと言えば死ぬだろう〉悪戯(いたずら)っぽさがまたいい。私だって沢口靖子が死んでと言ってくれれば…。

 珠玉中の珠玉は以下の各句ではなかろうか。〈軍隊とはっきり言えば楽になる〉円周率3と同じで、姑息(こそく)な解釈を振り回すから辻褄(つじつま)が合わなくなる。他国の「軍隊」による脅威は自国の「軍隊」をもって防ぐしかない。そんなの自明の理だ。

 〈靖国で会う約束があるのです〉靖国で会おうと言い交わして散っていった戦友。彼ら英霊が靖国で待つのは戦友や遺族、縁者だけではない。後の人たちに未来を託して死守した祖国であれば、現下の日本の指導者らとも会う約束が、言わずともできていたのに違いない。

 〈靖国参拝するしないするしないする〉どっちやねん、花占いでもあるまいに。国会の先生方はどこの国に遠慮して逡巡(しゅんじゅん)するのか。エイと覚悟を決めて参拝すれば済む話でしょ。

 いま春季例大祭が

 昨年12月号の川柳マガジンには前田咲二さんの追悼企画が組まれ、咲二さんは江田島の海軍兵学校に学んだと紹介されていた。なるほど句を支える骨っ節みたいなものは、そこで鍛えられた海軍精神だったのか。

 〈切っ先をいつも自分に向けている〉敵に刃を向けるだけの凡愚の政治家が多い中で、己の喉元に切っ先を当てられる真の政治家はさて何人いるだろう。

 靖国神社では昨日から3日間の日程で春季例大祭が行われている。(せこぐち さとし)