【産経抄】4月12日 - 産経ニュース

【産経抄】4月12日

 長野県小谷(おたり)村の稗田山(ひえだやま)が突如崩れたのは、明治44年8月8日の午前3時ごろだった。大量の土砂が田畑と人家を押しつぶし、川をせき止めて湖をつくった。23人が亡くなっている。
 ▼「そのとき埋まってしまった家々も、その家の人達も、いまもってそのままになっています。掘り返すこともできないほど深く埋まったのです」。66年後に現場を訪れた作家の幸田文は、地元住民が残した手記を読んで、言葉を失った。
 ▼大分県中津市耶馬渓(やばけい)町で山崩れが起きたのも、真夜中である。寝静まっていた小さな集落は、あっという間に土砂にのみ込まれた。安否不明の住民の救出活動が続いている。耶馬渓の名付け親は、渓谷美に魅せられた江戸時代の文人、頼山陽(らいさんよう)とされる。「天下の名勝」の風景は、ずたずたに切り裂かれた。
 ▼土砂災害は、台風や大雨、地震が引き金になる場合が多い。ただ稗田山崩れの発生当時、小谷村では連日快晴が続いていた。山崩れの原因は今も不明だ。「雨も降っていないのに、どうして」。現場付近でも、8日以降は降雨が観測されていない。専門家によれば、直前に雨がなくても土砂崩れは起こり得る、というのだが…。
 ▼津波は「TSUNAMI」と、すでに世界のメディアで注釈なしで使われている。実は土砂災害対策を指す砂防も、「SABO」として学会では世界共通語となっている。細長い国土に急峻(きゅうしゅん)な山並みが連なる日本列島は、古来、数え切れないほどの土砂災害に悩まされてきた。
 ▼その分、研究と被害を最小限にする技術が進んでいると、世界が認めた結果だという。では、そんな砂防の先進国で、なぜ今回の土砂崩れが防げなかったのか。せめて、住民に警告を発することはできなかったのか。