産経抄 4月8日

 

 テレビ用に毎日3分ほどの作品を作りたい。原作は4コマ漫画、アニメーションの巨匠と呼ばれるあの人なら、映像化は造作もなかろう。いつもの定食を頼むような口ぶりで、スタジオジブリ代表の鈴木敏夫さんは企画を高畑勲監督に投げてみた。

 ▼絵は質朴な線描画、主役は平凡な5人家族、題材は何げない日常だった。「長編になるかも」の返答に面食らったのは鈴木さんである。なぜ長編に。「だって、『家族』を扱っていますよね」。高畑作品の機微に触れる思いがしたと、鈴木さんが自著に書いている。

 ▼漫画は立派なアニメ映画になった。平成11年公開の『ホーホケキョ となりの山田くん』である。「土地は私の名義でっせ」と母がとがれば、「お言葉ですが、この家は僕が建てたんです」と娘婿がやり返す。既視感を伴う会話に微苦笑を誘われた人も多いだろう。

 ▼82歳で他界した高畑さんの事跡をたどると、アニメ化には不向きとみられる題材にあえて挑んだとの印象が強い。SFの驚嘆も劇画的演出も多くはない。「物語の世界をいかに信じうるものにするか、というリアリティの確保」に腐心したと昔日のエッセーにある。

 ▼母子の情愛に迫った『母をたずねて三千里』があり、死と隣り合わせの戦争の無情を描く『火垂(ほた)るの墓』があった。後輩の宮崎駿監督とともに世に問い続けた作品群の底には、見る者の感情を揺する繊細な何かが流れている。いつまでも作品が古びぬゆえんである。

 ▼『となりの山田くん』は労作だったらしい。宣伝文句は「制作は順調に遅れています」だった。一コマたりとも細部まで手を抜けない高畑さんらしい挿話である。タイトルを聞けば映像が浮かぶ。高畑作品を親として育った、そんな人も多かろう。