【産経抄】4月1日 - 産経ニュース

【産経抄】4月1日

 都心の喫茶店で、聞くともなしに耳に入った会話である。「どんな業種を回っているの?」「生命保険に絞って回っております」。30代の男性を前に、大学生とおぼしき青年が背筋を伸ばしていた。仕立て下ろしの背広と見え、装いがぱりっとしている。
 ▼青年は続けた。「小学生のときに父を亡くし、生命保険のおかげでここまで来られました」。同じ境涯の人を自分も支えたい、と。3月に解禁された就職活動の大学OB訪問らしい。意中の企業かどうかはさておき、青年にとっては「天職」と思い定めての告白だろう。勝負の春に幸多かれ。
 ▼新年度を迎え、新社会人は希望と不安に胸をざわつかせての船出に違いない。出会う人がみな、若い芽を伸ばす伯楽とはかぎらない。小言の名手、無理難題で新入りの出はなをくじく先輩もいる。出会いだけは運をたのむほかない。
 ▼昨今はしかし、「キャリアを積んで一旗」と野心に燃えるしたたかな若者も多い。地金を鍛えて転職するもよし。手に職をつけて独立するもよし。就いた仕事が「天職」と誇れるなら幸せである。実り多い社会人生活になればいい。
 ▼喫茶店で初めは神妙だった青年もやがて砕けた調子になり「自分が気になるのは給与体系なんすけど」。就職氷河期と呼ばれる季節を長く見てきたせいか冷や汗が出た。〈丁寧語敬語にてものを言ふ会の酒不味(まづ)ければはやばや帰る〉秋葉四郎。この青年も1年たてば酒の苦みを知るのだろう。
 ▼道理の通じぬ経験も、自分を磨く砥石(といし)になる。昭和初期の人、小熊秀雄が詠んだ詩の一節にある。〈我々はまだ人生の青二才だ、/がまんのならない一秒間のために/元気を出せ〉(『人生の青二才』)。元青年から青い春を生きる人への応援歌とする。