論説委員・山上直子 クニマス「復活の日」とは

日曜に書く

 8年前の3月、京都大学の中坊徹次教授(現名誉教授)の前に2匹の「小さな黒っぽいマス」が山梨県から届いた。

 「それを見てすぐにクニマスだとわかったなんて“伝説”が流布していますが、それ、ウソですから。クニマスは見てすぐにわかる魚じゃない」と、中坊さんは苦笑する。

 「サケ属の魚は似ています。ただ、尾びれが破損して産卵中でした。念のため捕った人に確認すると、深い湖底で産卵していた。ヒメマスの産卵は秋で、浅い場所です。だから、もしやと思ったんですよ」

 秋田県の田沢湖で絶滅したとされていたクニマスが、遠く山梨県の西湖で生きていた…そんな世紀の発見の端緒だった。

 生き延びた固有種

 久しぶりに中坊さんに会うと、ここ数年、監修でかかりきりになっていた図鑑「日本魚類館」(小学館)が20日に発売されたという。もちろん、サケ目サケ科には「クニマス」の項目があった。美しい写真を多く掲載したのが自慢で、見ると確かに産卵期の体色はかなり黒い。ところが、その下にある若魚の姿は輝くばかりの銀色だ。

 さらにその隣には、京都大学に保存されていた絶滅前の田沢湖のクニマス標本も載っていた。実は十数年前、京都総局の大学担当だったときに、見せてもらったことがある。ガラス瓶に入った標本は鈍い黄色で元の色を想像するのは難しかった。

 クニマスは「国鱒」とも書かれ、かつて田沢湖に生息した日本の固有種だ。昭和15年、電力と農業用水を確保するため、玉川の強い酸性水を引いた結果、絶滅。ところがその前に、卵が各地に移植されていた。長野や富山、滋賀の琵琶湖、そして山梨では西湖と本栖湖に。そのうち西湖で生き延び、70年後に“発見”されるまで静かに代をつないでいたのである。

 感動したのは、偶然と必然の結果、クニマスが生き残ったらしいことだった。西湖には広くはないが深い湖底部分があり、その水温が低くクニマスの産卵に適していた。またそのために、同じ湖にいる近縁種のヒメマスと交雑が起きなかったという事実である。

 クニマスの身になってみれば、たまたま故郷の田沢湖と似た環境があり、子孫を残していくことができた。実際、もう一方の移植先である本栖湖ではヒメマスとの大規模な交雑が生じ、純粋なクニマスは発見できなかったという報告がある。

 先祖は氷期のサケ

 では、日本固有のクニマスとはどんな魚なのか。

 中坊さんの受け売りだが、そもそも田沢湖は180万~170万年前に火山の噴火でできたカルデラ湖だ。太古は海にいたベニザケの祖先が、氷期に地殻変動で湖に閉じ込められて進化した。海と淡水を行き来する「降海型」に対し、一生を淡水で暮らす「陸封型(コカニー)」と呼ばれる。以来ずっと長い年月を田沢湖で暮らし、種と命をつないで日本固有のクニマスになったのである。

 それが、人の手による環境変化で、ほどなく消えてしまった。東北で大凶作が続き、環境問題の意識すらなかった時代のことだが、今後の教訓として語り継ぐべきだろう。

 昨夏、田沢湖のある仙北市に「田沢湖クニマス未来館」がオープンした。生きたクニマスも展示され、地元では田沢湖でのクニマス復活をめざしている。水質改善や今後の養殖研究に期待したい。

 共存共栄こそ

 昨年、長崎の対馬で国内では38年ぶりにカワウソが確認され、絶滅したニホンカワウソが生きていたかもしれないと話題になったとき、常に引き合いに出されたのがクニマスだった。

 クニマスは、地球から消えゆく生き物たちの復活のシンボルになっている。

 以前、本当にクニマスが復活したといえるのはいつかと中坊さんに尋ねたことがある。答えは「クニマスを食べる日」。

 かつて田沢湖ではクニマス漁が行われていた。田沢湖の特産品として病気や産前産後の見舞いなど、贈答にも使われる高級魚だったのだ。西湖や田沢湖でクニマスが自然に繁殖し、人間と共存共栄ができるようになる、つまり“幻の魚”でなくなる日こそ、本当に復活したといえるのだろう。

 今年も春がやってきた。西湖の深い湖底ではクニマスが産卵し、また1年、種をつないでいる。さて、人間には何ができるだろうか。(やまがみ なおこ)