論説委員・佐野慎輔 足元ではなく星を見上げよ

日曜に書く

 ことしの「3・11」は、ちょうど平昌にいた。

 釜石の「鵜住居復興スタジアム」建設はどこまで進んでいるのだろう。気になりだすと、居ても立ってもいられない。

 釜石からのメール

 見に行けない言い訳を添え、RWC(ラグビーワールドカップ)2019釜石開催支援連絡会幹事の浜登寿雄さんに様子うかがいのメールをした。

 屋根がつき、土盛りが進むスタンドにかかる横断幕。そして工事現場で働く人たちの姿。3枚の写真が添付された返信に、こう記されてあった。

 「スタジアムには『想(おも)いを一つに〈釜石の復興のシンボル〉を築く!』の横幕が掲げられています。雨の日も雪の日も、極寒の中も猛暑の中も一所懸命に作業されている皆さんに感謝感謝です」

 工事の順調な進捗(しんちょく)に、自分のことのように安堵(あんど)した。同時に、作業員が築いているのは「釜石の復興のシンボル」であり、「市民の輝く笑顔と煌(きら)めく未来」だと説いて、工事現場の前を通るたびに手を合わせていると書いてきた浜登さんらしさに、思わず口元が緩んだ。

 招致段階から開幕準備へ、自分を忘れて東奔西走し続ける男は熱くて優しいのである。

 もちろん、いまだ震災の傷痕がくっきり残り、地元の人々の思いは必ずしもそろっているわけではない。RWCに関心を持てず、いや、復興が後まわしにされていると憤慨する人たちがいないわけではない。

 それでも「煌めく未来」を見上げなければ、涙が垂れて、前に進めなくなってしまう。

 平昌は何を残すか

 「阿部友里香さんの活躍を見届けてもらえればありがたい」

 メールをやりとりしながら、浜登さんが書いてきた。同郷であり、長女が同級生という。

 しかし、私が現地にいる間に彼女が出場したバイアスロン女子6キロ立位は3月10日。同日同時間帯、私は別の競技を見ていた。浜登さんの願いに応えることができず申し訳ない思いもあったが、産経新聞運動部の川峯千尋記者は、9位に入った阿部選手の姿を11日付紙面で、こう書いている。

 「ほろ苦さは残った。それでも、懸命に走る姿で東日本大震災からの復興に励む故郷にエールを送ることはできた」。そして「(被災地の方々が)また次の日も頑張ろうと思えるようなパワーあふれる滑りをしたい」という談話を取り上げた。

 たぶん、浜登さんが知りたかった話ではなかったか。

 平昌パラリンピックはきょう18日夜、10日間の会期に幕を下ろす。韓国は競技としてのパラスポーツは盛んではなく、成績も振るわず、オリンピックほどの盛り上がりが見られたわけではない。しかし、訪れた観客は選手たちの高度な技とスピードに目を見開いていた。

 思えば、日本でパラリンピックの扱いが変化したのは、1998年長野冬季大会である。

 それまでは福祉、リハビリの対象としかみられてこなかった障害者スポーツが、初めて高いレベルを持つ存在だと認識された。日本選手の活躍が注目の度合いを高めたといってもいい。平昌大会はさて、長野のように進むのだろうか。価値を考える起点になってほしい。

 いま、日本では2020年東京大会に向けた動きが活発である。長野以降、再びの低迷期を克服し、新たな段階を迎えている。この潮流をポスト20年にも生かしていけるだろうか。

 未来を志向して…

 パラスポーツが健常者のそれと同じ視点で扱われ、多様化社会、共生社会を実現させていく。言葉は先行したがまだ障壁は高く、課題も大きい。

 その1年前にRWCを開催する地方都市、なかでも「復興」を背負う釜石には縮小する地域の活性化が課せられる。

 若者を引き留める魅力的なまちづくりへ、開催を機に新しい産業の起業や誘致ができるだろうか。この地で試合するフィジー、ウルグアイとの交流を深めて起爆剤にできないか。そのためには英語に加え、スペイン語も学びたい。課題は少なくないが、浜登さんたちのグループはRWC後の動きも見据える。

 14日、難病を抱えながら宇宙の謎を語り続けた英国のスティーブン・ホーキング博士が亡くなった。博士は2012年ロンドン・パラリンピックの開会式でこうスピーチした。未来をめざす大きな言葉である。

 「足元ではなく、星を見上げなさい。好奇心を抱いて」(さの しんすけ)