羽生結弦の「夢」 論説副委員長・別府育郎

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【平昌五輪2018】フィギュアスケート 男子フリー 羽生結弦=2月17日、韓国・江陵アイスアリーナ(納冨康撮影)

 平昌冬季五輪のフィギュアスケートで連覇を飾った羽生結弦が金メダルを胸に、日本記者クラブで会見を行った。

 氷を降りても羽生は羽生で、その挙措や、紡ぐ言葉の一つ一つが魅力に富んでいた。

 例えば、「夢」について。

 「自分の中の夢の形は割とはっきりしている。昔の小さな自分が、これで一番になりたい、こういう人になりたいと憧れ、信じ切った姿が、今もずっと心に残っている。それが僕の夢なのだと思う」

 「夢がかなうって本当に限られたことで、自分の夢だってかなったのはこの金メダルだけ。他の夢をたくさん捨ててきた。夢はいっぱいあっていい。高い目標だけでなく、低い目標であってもいい」

 「これから多くの子供が夢を持ち、それがかなうきっかけを作れるような言葉を出せればいいなと思います」

 当意即妙で、どうしてこれだけの答えを用意できるのかが不思議だった。

 これまでも、夢を語る多くの人の言葉を聞いてきた。

 なかでも、いじめが社会問題化したころ、大リーガーの松井秀喜が発したメッセージが強く印象に残る。

 「人は夢を持っている。僕の夢は、野球そのものだった。いじめることが夢だという人は一人もいないはずだ。かなう夢、かなわない夢があると思うけど、いじめは夢への遠回りとなっている」

 羽生も松井も、おそらく同じことを述べているのではないか。優れたアスリートは、なぜかすてきな言葉を持つ。

 いや、選手だけではない。

 北方謙三の大水滸伝シリーズ「岳飛伝」では、秦容将軍がこう語っている。

 「届いたと思ったら、それは夢ではない。夢にどうやってむかって行ったかが、男の人生さ。ただ、夢は受け継がれる。ふり返ると、夢という墓標が、延々と続いている」

 目標、希望、志、さまざまな言葉に置き換えられもするが、やっぱり夢は夢。はて、自分の夢とはなんだったか。