冷たい戦いを超えて(20)自由追求できる世界を守る

オリンピズム
“炎のランナー”から100年、2024年五輪の開催都市に決まり、喜ぶパリのアンヌ・イダルゴ市長(前列右)=2017年9月、リマ(ロイター)

 「金メダルは、前半の200メートルを力の限り速く走れば取れる。そうすれば、後半の200メートルは神の力でさらに速く走ることができるからだ」

 1924年のパリ五輪。陸上男子400メートル決勝に世界記録で優勝した英国のエリック・リデルは競技の前に自らの“戦術”をこう語った。宣教師の家に生まれ、走ることは信仰と同義だった。出場するはずだった100メートルは予選が日曜日にあたったため、信仰を尊重して棄権し、別の日の400メートルに出場する。

 もう一つ、金メダルへ後押しするものがあった。ある米国人から渡された手紙。聖書の一節を引いてこう書かれていた。「主は言われた。われをたたえる者をわれもたたえん。成功をいつも願っている」。自分を信じてくれる人がいる-。リデルはその手紙をつかみながら走った。

 この逸話は映画「炎のランナー」で描かれた。そこでは手紙を渡したのが米国選手になっていたが、近代的なトレーニングを積んできた米国選手にリデルのことを、「彼には何かがある。信念というものか。われわれのコーチには永遠にわからない何かだ」と語らせるところは興味深い。

 走ることに勝って人種の壁を乗り越えようとする、もう一人のランナー、ユダヤ系のハロルド・エイブラハムスと、信念に基づいて思うままに走ることを楽しむリデルとの対比も学ぶところが多い。「政治や国家を超えた五輪の理想」を描こうとした作品の神髄がここにある。

 映画は主人公が英国人であったことから6年前のロンドン五輪でさまざまな形で活用された。だが、パリ五輪であったことがもう一つの現実へとつながる。2024年の開催が決まったパリ五輪はリデルらの活躍からちょうど100年。再び五輪の理想が語られる大会となるだろう。

 戦前は欧州の貴族がアマチュア精神を掲げてスポーツを謳歌(おうか)した時代だった。戦後、事情は大きく変わっていくが、英国陸上界の名選手で1964年東京五輪の銀メダリスト、エイドリアン・メトカーフは「スポーツは音楽や数学と同様、人生に欠くべからざるものである」と語った。どの時代でも、文武、相通じるところを示す言葉だ。

 そのメトカーフを継ぐ、同じ英陸上選手のセバスチャン・コーは「五輪のメダルと世界記録とどちらを取るか」とよく尋ねられた。コーの答えは伝記『ランニング・フリー』に記されている。「五輪は能力を決めるものである必要はない。自分の力を正しく示しているのは世界記録だ」

 コーが目指したものは、なんら制約なく自由に走ることだった。「どんなスポーツでも、スポーツマン精神と自らの意思による決定、自由を追求できる環境が守られていなければならない」。そして、自由を守るには監視を怠ってはいけないと訴えた。

 自由を尊重する意識。冷戦時代の五輪を振り返って、世界の行き着くところはいまもここにあると思う。=敬称略〈おわり〉(蔭山実)