平昌五輪で女性の時代の足音を聞いた 

正木利和のスポーツ茶論
セレモニーであいさつするカーリング女子日本代表主将の本橋麻里選手(左)。右は吉田知那美選手=2月27日午後、羽田空港

 あさって8日は国際女性デー。べつに、アベノミクスの成長戦略の柱として首相がもう5年も前に打ち出した「女性が輝く日本」の成果が急に表れた、というわけでもあるまいが、このところ日本女子のスポーツ界での躍進はめざましい。

 平昌五輪の日本の4つの金メダルのうち、女子が獲得したのは3つ。そういえば、2016年リオデジャネイロ五輪の金メダルも12個のうち7個は女子が手にしたものだった。

 かつて、陸上競技を担当していたころ、日本女子がマラソンで世界と互角に戦えるようになった理由を指導者たちに聞くと、まず「男子の指導のノウハウを、女子に持ち込んだから」という答えがかえってきた。「俺についてこい」と日本女子バレーボールチームを率い、東京五輪の金メダルに導いた故大松博文監督のように、男性指導者が女性たちを引っ張って頂点に導くという伝統的な図式は、これからもずっと引き継がれてゆくのだろうと思っていた。

 しかし、平昌で時代は変わるということを思い知らされるできごとがあった。

                 □  □

 今回女子カーリングで銅メダルを獲得したLS北見のリザーブ、本橋麻里(31)のブログをしばらく熱心にチェックしていたことがある。ちょうどバンクーバー五輪のあと、それまでの本拠地だった青森を出た彼女が故郷の北見市に新チームを立ち上げようとしていたころだ。

 トリノ五輪後、ガールズシネマ「シムソンズ」を見てこの競技のおもしろさを知り、カーリング通を気取っていた筆者は、まだ20代前半の若さでチーム作りに奔走するアイドルのような天才カーラー「マリリン」を、まるでその映画の主人公たちのように感じていたに違いない。

 なるほどマイナー競技だけに資金集めはかなり苦労したようだった。スポンサーへのあいさつのためにわざわざ大阪にまでやってきた、という内容がアップされたときなどは、ひどく驚かされたものだ。けれど、写真のなかの彼女はいつも明るく笑っていた。

 彼女がそこまでして地元を拠点に発信しようとしたメッセージは、文化としてのカーリングだった。それを物語るのが、看板ともいうべきチーム名である。「ロコ・ソラーレ北見」は、彼女が生まれたカーリングの町、常呂町とイタリア語の「太陽」を組み合わせたものなのである。

 新チームは一度は五輪を逃した。しかし、藤沢五月らが加入し、世界選手権で銀メダルを獲得。さらに、今回の五輪でこの競技初のメダルを日本にもたらすという快挙を遂げる。

                 □  □

 しかし、銅メダルを決めた歴史的な瞬間、本橋はシートの上にいなかった。競技者として脂の乗った年齢にもかかわらず、彼女は今回、後輩を支える道を選んだのだ。だが、それまで決して注目されることのなかった裏方の大切さを広く認識させることで今回、「リーダー」としての成長の跡を記すことに成功した。

 彼女が平昌で示したそこらの男性管理職では決してマネのできないサポート力は、きっと今後の女性指導者やアスリートたちにとっての道標になるはずだ。

 経済協力開発機構加盟の29カ国のうち、日本の働く女性のための環境ランキングは28位。女性の社会進出を阻む壁はなお高い。しかし、しなやかに仲間を輝かせた彼女に、女性の時代の足音を聞いた。