「いつか行ってみたい場所」に行ってみた

ん!?

 いつか行ってみたい場所が、みんなそれぞれ心にあるはず。私が「いつか」と思い続けていたのが香港のスターフェリー。昨年末、初めて香港を取材で訪ねることになり、これだけはなんとか!と同行者にわがままを聞いてもらって乗りに行った。

 九竜と香港島を結んでいる航路で、所要時間は約10分。沢木耕太郎さんの名著『深夜特急』に登場する。初めて読んだのは社会人になったころ、もう30年以上前だ。濃密でスリリングな香港の喧噪(けんそう)の中で、ゆったりくつろげる場所として描かれる。〈六十セントさえあれば、王侯でも物乞(ものご)いでも等しくこの豪華な航海を味わうことができる〉

 九竜側の港で、緑色のトークンを買って、回転アーム式の改札を通る。前のフェリーが出たところだった。でも待つほどのこともなく次のフェリーがやってくる。白と緑にシンプルに塗り分けられた船体。板張りのベンチシート。レトロな雰囲気がいいなぁ…と思って銘板をみると、なんと1959年の建造。古すぎだろう。大丈夫か。

 あいにく曇り空で、景色はくすんでいた。でも風が気持ちいい。対岸がゆっくりと近づいてくる。ほんのそこまで、という距離だけど、広い空の下で波に揺られていると、何かが切り替わる感じがする。短くてもたしかに〈航海〉だ。

 せっかくなので香港島をうろうろ。復路はすっかり夜になっていた。いわゆる「百万ドルの夜景」の中を出航。林立する超高層ビルが、個性を競うように輝く。波に映った何色もの光がゆらめく。これは壮観。ゆっくり楽しもう…と思ったが、フェリーは観光船じゃないので、ぐいぐい遠ざかるのだった。容赦ないね。そりゃそうだよね、みんな急いでるし。

 とりあえず、「いつか」がひとつ現実に。(篠原知存)