レスリングの〝パワハラ告発〟 功労者を泣かせてはお家芸の名折れ 3月4日

産経抄

 中世ヨーロッパの天文学者、ブラーエとケプラーは疑心を抱き合う師弟だったという。天体観測の権威であるブラーエは弟子を信用せず、手元のデータを見せようとしない。25歳下のケプラーは師のすげなさを気に病み、科学の才をもてあました。

 ▼データを譲り受けたのは弟子入りから約2年後、ブラーエの臨終間際である。「私の一生が無駄であったと思われぬように」。遺言通り惑星の運動に関する「ケプラーの法則」を導き出し、師の業績に報いている(ジョージ・スタイナー著、『師弟のまじわり』)。

 ▼弟子の偉業に、「自分の手柄」と誇る人をたまに見かける。気分のいいものではないが、名誉のおこぼれにあずかりたい心理も分からぬではない。聞けば、英語の「tradition」(=伝統、伝承)と「treason」(=背信)は同じ語源を持つという。

 ▼感情の行き違いはなるほど、師弟の宿命かもしれない。とはいえ情熱と篤実で鳴らした指導者の仕打ちとは、にわかに信じがたい。日本レスリング協会の栄和人強化本部長が、元弟子で五輪4連覇の伊調馨選手に「不当な圧力」を加えたとする関係者の告発である。

 ▼いわく伊調選手が練習拠点とする施設への出入りを禁じ、師事する男性コーチにも指導を禁じた。伊調選手が栄氏の元を離れ、活動拠点を移した昔の遺恨が理由だという。パワーハラスメントは協会も栄氏も否定しているが、真相はどうなのか。解明は急務である。

 ▼〈かなかなや師弟の道も恋に似る〉滝春一。選手と指導者が思いを一つに道を究める姿は美しい。ならば「終わった恋」の後片付けも美しくあってほしい。伊調選手は5連覇に向けて始動できていない。功労者を泣かせてはお家芸の名折れだろう。