「或る経済的○○」が残る 論説委員・清湖口敏

日曜に書く

 娘が小学1、2年の頃、「あの子はいつも嬉(うれ)しんで体操している」などと言うのを耳にし、「嬉しむ」という言葉はない、「嬉しがる」と言いなさいと注意した。後に「嬉しむ」という古語があることを知ったが、これを現代で使うのはさすがに違和感が強いだろう。

 ◆日本人のDNA

 娘が「嬉しむ」を使ったとき、実は内心で喜んだものである。「『嬉しい』と『嬉しむ』」「『悲しい』と『悲しむ』」といった感情語彙の形容詞と動詞とが照応する日本語の派生構造を、娘は誰に教わるでもなく自然に会得していると思ったからだ。これぞ日本人の国語のDNAに違いなく、このDNAが後の世代にも継承されていく限り、言葉遣いは少々乱れようが、日常語から「日本語」が消えることは絶対にないと確信できたのだった。

 だがそんな確信も今から思えばまるで“呑気(のんき)節”だ。日本の人口減少で日本語話者が少数になってしまうからか?もちろんその懸念もなしとはしないが、人口が半分に減ったところで国民が日本語を使い続ける限り、日本語は消えないだろう。

 危機はむしろ、現在の国内の風潮、ありていに言えば過度の英語熱に兆している。

 国際化の時代にあって英語は確かに重要な言語だ。ただ、日本の有名企業が英語を社内公用語とし、一部自治体の教員採用試験で英語力の高い受験者に優遇措置を与えるといった英語有利の流れがそのまま、国語軽視へとつながりはしまいかと心配でならないのである。

 “教育熱心”な親の大半は子供の将来を案じ、日本語もまだ十分でない幼児にまで英語を習わせるだろう。それが出世の武器になるとあれば、英語を日常的に使いたいと考える若者も当然増えよう。日本語を日常語としなくなった日本人に、国語のDNAは何の変異も起こさずに継承されるだろうか。

 杞憂(きゆう)なら、それに越したことはない。しかし世界には、経済的利益のために母語から他の言語に乗り換える動きが実際にある。例えばアイルランドだ。

 ◆アイルランドでは

 民族語であるアイルランド語と英語との言語交代が起きているのである。「アイルランド語には、貧困、後進性などのネガティブなイメージがつきまとってきた。19世紀半ばの大飢饉(ききん)がアイルランド語使用人口に大打撃を与え、アイルランド語衰退を決定づけたことが、こうしたイメージの根底にある。飢饉以後、海外に移住することが生きる唯一の手段だと考えた人びとは、アイルランド語を捨てて英語を学ぶことを選んだ」(明石書店刊『アイルランドを知るための70章』)

 英語における経済的優位性を如実に物語っていよう。わが国の一部企業が英語を社内公用語としているのも、つまるところ経済重視の表れだろう。

 “言語交代”は情報通信分野でも起きている。小紙「正論」メンバーの一人、楊海英・静岡大教授は昨夏、ニューズウイーク誌(日本語版)で、カザフスタンがカザフ語のロシア文字表記をやめ、ローマ字表記に移行し始めたと紹介した。大統領は2025年にローマ字に完全移行させる方針まで示している。「ロシア文字にとって致命的なのは、ソーシャルメディアに慣れ親しむ若者に不人気なことだ」と楊氏は指摘する。

 ◆日本語存亡の危機

 情報通信技術の発達は、日常の日本語の中にカタカナ語を氾濫させたが、それでも助詞などによって膠着(こうちゃく)する日本語の基本構造は健在である。しかし経済や情報通信での優位性に傾くあまり、日本語を捨てて英語に走る若者が急増するとしたら、それこそ日本語は存亡の危機を迎える。「『嬉しい』と『嬉しむ』」「『悲しい』と『悲しむ』」の相関も、文法として習わないことには理解できない日本人が、そのうちきっと多数派になっていくのに違いない。

 「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或(あ)る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」。割腹の約4カ月前、昭和45年7月7日の小紙夕刊に寄せた三島由紀夫のあまりにも有名な言葉である。

 ここの「日本」を「日本語」に、「経済的大国」を「経済的言語」に置き換えても通用してしまう時代が来るのではないかという感を、私は日ましに深くする。

 論説委員・清湖口敏(せこぐち さとし)