プロ60年目の王さんと宮崎の風景

清水満のスポーツ茶論
宮崎キャンプの会場入りするソフトバンク・王貞治球団会長=宮崎市、生目の杜運動公園(撮影・仲道裕司)

 巨人の宮崎キャンプは今年で60年目になる。1年目の1959年、新人で巨人入りした王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)。つまり王さんにとっても、プロ入り60年目である。

 先週宮崎に行った。ソフトバンクのキャンプ地、市内にある生目の杜運動公園に王さんを訪ねた。当時の思い出を聞いた。

 「(高校の)テストが残っていて、本隊より2日遅れで合流だった。当時は飛行機もない。高千穂という列車で27時間くらいかかったんだ。床に新聞紙を敷いて寝た記憶もあるね」

 当時の新聞スクラップを見た。早実高の卒業試験が1月31日まであり、王さんは2月1日、東京駅午前11時発の急行高千穂で西下、翌2日の午後2時21分に到着した。27時間21分の長旅だった。「長嶋さんと同室だった」と記憶を呼び起こした。世界記録である868本塁打を打った投手、ボールカウント、球種を全て記憶している王さん。60年前の情景も鮮明である。

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 鍛錬の地だった。

 「球界初という陸上競技専門のコーチもいて、とにかく走らされた記憶があるんだ。でも、それで自分自身も下半身が鍛えられたと感じているし、おかげで選手寿命も延びたと思う」

 いまでこそ40代選手も珍しくないが、30歳を過ぎると峠を越えたといわれた時代、王さんは40歳までプレー。打撃の礎となる強靱(きょうじん)な下半身も鍛えられた。

 さらに…。

 「川上(哲治)監督の方針で大リーグのドジャースから導入した投内連係などフォーメーション練習を重視してた。バントシフトなどサインプレーに多くの時間を割いていたね」

 いまでは常識となっているサインプレー。当時は巨人だけの“特権プレー”だった。かくしてV9(65~73年)という偉業、強い巨人は宮崎で熟成されていったというのである。

 10日、宮崎60年を記念した「ジャイアンツVSホークスOB戦」が当地で開催された。総監督を務めた長嶋茂雄さん(巨人軍終身名誉監督)、4番として先発出場した王さんに観客は一番熱い声援を送った。いまだにON人気のすごさを物語るシーンである。

 王さんは年明けにインフルエンザにかかって体調が心配されたが、現役時代さながらの一本足打法で観客を魅了、存在感を示した。

 「いまホークスにいるけどGIANTSという6文字は心に染みこんでいる。何より地元の人に楽しんでもらえたのが良かった」

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 かつて宮崎は新婚旅行の名所といわれた。王さんが入団した翌60年、昭和天皇第5皇女である貴子さまと島津久永さんご夫妻がハネムーンで訪れたのがきっかけだといわれているが、いまの売りは、多くの観光名所と“スポーツランド・みやざき”である。

 巨人、ソフトバンク、オリックス、広島、2軍はヤクルト、楽天…。サッカーJリーグも17球団がキャンプを張る。昨年のキャンプ経済効果は約126億6千万円(県ホームページから)。

 GIANTSの栄光と宮崎の今のにぎわい。もちろん長嶋さんという“ビッグパートナー”の存在は欠かせないが、始まりは“王さん元年”だった。

 「最初はのどかな街という印象だったけど、いまはいろんな意味で活気があるよね。これからもできる限り力になりたいね」

 60年目という月日を振り返った王さん。宮崎を思う心の熱さに驚かされた。