松井秀喜と金本知憲 殿堂入りスラッガー2人の奇縁

別府育郎のスポーツ茶論
松井秀喜氏(撮影・戸加里真司)

 日米通算507本塁打の松井秀喜と1492試合連続フルイニング出場の鉄人、金本知憲が同時に野球殿堂入りを果たした。

 ともに40代、右投げ左打ちの外野手だが、片や巨人から大リーグへ、一方は広島から阪神へ。接点はあまりなさそうにみえる2人のスラッガーの奇縁を、少し知っている。

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 現役を引退したのはともに2012年である。この年のオフ、金本が日本記者クラブで行った引退記者会見で、司会を任じられた。

 いい言葉がたくさん記憶に残っている。

 「野球に人生をかけてやってきた」「自分よりバットを振っている選手はいないと思っていた」

 「練習のしんどさにリトルリーグをやめた。高校の野球部を脱走したこともある。何度でもやり直しはきく。何回でもチャレンジしてほしい」

 自身の1002連続打席無併殺の記録について聞かれると、「併殺崩れでセーフになっても、打率は下がる。それでも僕は全力で走ったと、一番胸を張れる記録なんです」。

 会見後、控室でしばし雑談する機会に恵まれた。金本はしきりに、松井の去就を気にかけていた。

 聞けば、2人の主治医が同じだったのだという。

 自らを引退に追い込んだ右肩の故障と、すでに限界を超えていた松井の膝。同じ医師を媒介に、互いの症状と選手寿命を理解し合っていたのだろう。

 日本時間の翌朝、テレビ各局は米国から、松井の引退会見を中継していた。

 「命がけのプレーもここで一つの終わりを迎えたのではと思います」

 引退に際して思い浮かぶシーンは「長嶋(茂雄)監督と素振りをした時間」。自身が残した記録については「それよりも、僕が常に意識したのはチームが勝つために何をするのか、ということ」と答えた。

 野球に、金本は人生を、松井は命をかけた。

 ともに自負は素振りにあり、誇るべきは、全力疾走とフォア・ザ・チームにあった。

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 松井は殿堂入りより前に国民栄誉賞を受けている。恩師、長嶋さんとの同時受賞だった。

 授賞式は13年5月5日、東京ドームで行われた。印象に残るシーンがある。

 スポットライトを浴び、オープンカーで場内を一周したときのことだ。

 長嶋さんは不自由な右手をポケットに入れたまま、満面の笑みでスタンドに左手を振り続けた。その横で、松井もまた左手だけを振り続け、一度も右手は出さなかった。

 本人に、真意を質(ただ)したことがある。

 「そうですね。意識しました。監督が体調を崩され、リハビリのすごい努力を重ね、これだけ元気になられたんだと日本中の方が思ってくれればいいなと、それが際立つような形になってほしいと、常々思っていましたから」

 殿堂入りが決まった金本は、通知式に出席するため野球殿堂博物館に赴いた。真っ先に報告をした相手は、昨年殿堂入りを果たし、今年はじめに亡くなった、星野仙一さんのレリーフだった。

 FA宣言した金本を阪神に口説き落とし、監督と主砲の立場でペナントを手にした師弟である。

 神妙に「面と向かって報告したかった」と語る金本に、また左手を振り続けた松井の姿が重なるよう思えるのだった。