祝・オキノタユウの完全復活 〝人間の欲望〟で絶滅寸前に追い込まれた「悲しい歴史」とは 論説委員・長辻象平

日曜に書く

 「沖の大夫」諸氏、長谷川博さん、おめでとう。

 オキノタユウとは2・5メートルほどの長い翼を持ち、時速80キロの高速で海原を飛翔(ひしょう)する大型海洋鳥・アホウドリのことだ。

 長谷川さんは東邦大学名誉教授で、絶滅の危機にあったオキノタユウの復活に全力を注いだ鳥類学者。

 繁殖地の鳥島で長谷川さんが実施した最新の調査によって、今年5月にはオキノタユウの総個体数が、宿願の「5千羽」に達することが確実になった。約40年に及ぶ保全活動で、彼らはついに完全復活とみなせるレベルまでの回復を遂げたのだ。

過去には絶滅宣言も

 オキノタユウは、悲しい歴史を持っている。かつては北太平洋全域に生息していたのだが、明治の半ば以降、激減していった。輸出用の羽毛採取のために捕殺されたのだ。

 彼らの生活の場は海上だが、繁殖期は島で暮らす。直径2・5キロで無人の鳥島は最も規模の大きい繁殖地だった。毎年10月に鳥島に戻って産卵し、ヒナを育て終わった翌春に島を離れる-というライフサイクル。

 その在島中が狙われた。鳥島では、20年足らずのうちに500万羽が犠牲になったのだ。

 第二次大戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による生物調査でオキノタユウの姿は確認されず、絶滅宣言が下された。

 その2年後の1951年、気象庁の鳥島測候所員が少数のオキノタユウを目撃した。だが、65年に火山性地震の群発で測候所は閉鎖され、その後8年にわたって情報不足が続いた。

 76年11月、京大大学院生だった長谷川さんは、東京都水産試験場の船上から鳥島のオキノタユウを観察した。翌77年3月には東京都八丈支庁の鳥島調査チームの一員として初上陸。

 翌4月に東邦大学理学部の研究者となった長谷川さんは、毎年秋と春の2回は鳥島に渡り、個体数調査と集団営巣地(コロニー)の保全活動などを続けてきた。渡航の大部分が漁船をチャーターしての単独行。八丈島から13時間半の船旅だ。

 1カ月前後に及ぶ無人島での調査には苦労が多く危険も隣り合わせで、誰にでもできる研究ではない。

ついに5千羽を突破

 今回の第123回調査で、長谷川さんは昨年11月26日から12月9日まで鳥島に滞在した。

 島には3カ所のコロニーがあり、昨年より84組多い、921組の繁殖つがいが各1個の卵を温めている最中だった。

 卵は1月の終わりごろまでに孵化(ふか)するが、大雨で土砂が巣に流れ込むなどすると卵やヒナの死につながる。

 無事にヒナが育つ繁殖成功率が最近2年の平均と同じ63%だとすると5月の巣立ちによって580羽が、鳥島のオキノタユウ集団の構成員として新規参入することになる。

 オキノタユウは3歳になるまで鳥島に戻ってこないので、この洋上生活群の個体数や、つがいの個体数などを加えた数に、成鳥の死亡率を組み込んだ精密な計算結果から全個体数は「5055羽」の数値を得た。また今秋には、新たに繁殖年齢に達する個体も増えて「千組」のつがいが形成される見通しだ。

 長谷川さんによると鳥島のオキノタユウ集団の繁殖は、初期に長く微増を続け、その後は急激な伸びに転じる指数関数的な復活曲線に乗ったようだ。

アホウドリを旧名に

 戦後の再発見時から使われてきた島の南東部崖下のコロニーは、土砂崩れが起きやすくて繁殖地としての限界が見えているが、彼らの模型(デコイ)を置いて誘導した北西部緩斜面のコロニーは土地も広く、今後も大幅増が期待できる新天地だ。

 「ここまで回復すれば、鳥島が噴火してもオキノタユウの種としての存続が脅かされることはないでしょう。彼らには過去の噴火を乗り越えてきた逞(たくま)しさがありますから」

 5月に長谷川さんは海原に旅立つ幼鳥たちを鳥島で見送る。「11月には繁殖つがいが千組を超える。それを見届けて、ぼくは鳥島での野外調査から引退します」と胸の内を明かしてくれた。大きな区切りの訪れだ。

 復活を記念してアホウドリという和名を改めてはどうか。人間の欲望が絶滅寸前に追い込んだ生物に対してあまりにひどい名だ。長谷川さんは古名のひとつの「オキノタユウ」を用いて調査報告や本を書いている。上田敏もボードレールの詩に登場するこの海洋鳥を「をきのたいふ」と訳した。優雅な響きだ。(ながつじ しょうへい)