平昌の白銀の世界を駆け抜ける英雄の姿が見たい

黒沢潤のスポーツ茶論
朝日に照らされる韓国北東部・江陵の鏡浦海岸に設置された五輪マーク。江陵ではスケート競技などが行われる =1月29日、韓国・江陵(早坂洋祐撮影)

 2006年2月、イタリア・トリノ冬季五輪を取材した。スピードスケート男子1000メートルに登場し、個人で冬季史上初の“黒人金メダリスト”に輝いたシャニー・デービス(米国)の雄姿が忘れられない。

 レース後の記者会見で本人を直撃した。「米国内で人種差別を乗り越え、冬季スポーツ競技の頂点を極めたことをどう思うか?」。デービスは多くを語らなかったが、苦難を味わった末のメダル獲得だったことが彼の表情から見てとれた。

 2歳でローラースケートを開始。マイケル・ジョーダンに憧れ、黒人の子供たちがバスケに興じたころ、周囲の白人は白銀世界に挑戦したデービスを黒ビスケットにちなみ「オレオ」と呼んで侮辱した。青年時代には、職務質問する警官に下着の中を懐中電灯で照らされる屈辱も味わった。

 「白人優位」の米社会で、日々遭遇する人種差別が苛烈であればあるほど、彼は反骨心をみなぎらせ、ついには周囲を沈黙させる力を持った。

                 □  □ 

 トリノ五輪では、陸上の“はだしの英雄”アベベらを過去に輩出したエチオピアから、史上初めて冬季五輪に出場したスキー距離15キロのロベル・テクレマリアムも注目された。「雪の中のエチオピア人」が白い息を吐き、身をよじらせゴールを駆け抜けると、トリノの山に歓声が響き渡った。

 長い髪がトレードマークの彼がスキーと本格的に出合ったのは9歳のころ、国連に職を見つけた母に連れられ米国に滞在したときだ。アフリカの少年は雪の美しさに魅了され、五輪を目指し研鑽(けんさん)を積んだ。

 とはいえ、エチオピアは雪や氷とは縁遠い国。「エチオピアのオリンピック委員会はスキーを冬季五輪種目と認識していなかった」(トリノ五輪関係者)ともいわれたが、たゆまぬ努力を続けて五輪に出場すると99人中83位と奮闘した。

 「エチオピアの歴史に残る走りができて、本当に幸せだ。長年の夢がやっと実現したよ」。絞り出すような声で語ったあの表情は生涯、忘れないだろう。

                 □  □ 

 五輪には冬季、夏季を問わず、多くの「物語」がひしめく。2年前のリオデジャネイロ五輪では、「難民選手団」枠でコンゴ(旧ザイール)の女子柔道選手が特別出場し、人々を感動させた。この選手は紛争で家族と引き裂かれ、1人で走っていた際にヘリコプターに救い上げられた。その後、難民センターで柔道と出合い五輪出場の夢をかなえた。また、戦乱のシリアを追われ、ボートでギリシャに十数人と移動中、故障したため姉とエーゲ海に飛び込み、約3時間も泳ぎ通したという不撓(ふとう)不屈の女子水泳選手も選出された。

 この難民枠で出場したのは、内戦や政情不安で他国に逃れたコンゴ、シリアのほかエチオピア、南スーダンの計10人。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は開会式の演説でこう強調したのだった。

 「私たちの住む世界では利己主義が幅をきかせ、一部の人々が他者より優れていると主張している。しかし、五輪が示す答えは次の通りだ。五輪の連帯の精神に基づき、私たちは最大の敬意を払って、難民の五輪選手団を歓迎する!」

 韓国・平昌五輪の白銀世界には果たして、どんな選手が姿を見せるのか。いかなる苦境に直面しても、打ちひしがれることなく立ち上がり、夢に向かって突き進む“英雄”たちの姿を見たい。