冷たい戦いを超えて(15)スポーツでも「原理主義」が優先

オリンピズム
リオデジャネイロ五輪の開会式で入場行進するサウジアラビアの選手団。女性の姿も見られたが、まだ人数は限られている=2016年8月5日(AP)

 モスクワ五輪のボイコット論議は米国のジミー・カーター大統領を“震源”に世界へと広がった。だが、世界で最初にボイコットを決定した国はどこかと尋ねられて即答できる人はどのぐらいいるだろうか。ソ連軍のアフガニスタン侵攻から1週間後、1980年1月6日に態度を決めるという“速攻”だった。答えはサウジアラビアである。

 当時、フランス通信(AFP)は国営サウジ通信(SPA)をパリで傍受したとし、その内容をこう伝えた。

 《サウジアラビアはソ連のアフガン侵攻を理由に今夏のモスクワ五輪をボイコットすることを決めた。決定はサウジアラビア・オリンピック委員会が下し、ファハド皇太子の子息であるファハド委員長がこの決定を発表した。アフガンのイスラム同胞たちに五輪開催国のソ連が攻撃を仕掛けたことへの抗議という》

 サウジアラビアの決断の衝撃もまた大きく、日本オリンピック委員会(JOC)委員長の柴田勝治は「ボイコット第1号が出て残念だ。イスラム教国が同調することも考えられる」と話していた。

 ボイコット即決の背景には変わり始めた中東情勢が重なる。サウジアラビアといえば、いまも厳格なイスラム教の国家だが、その右派的な原理主義勢力は、サウジアラビアからアラブ首長国連邦(UAE)をへてパキスタン、さらには隣国のアフガンへと波及したといわれる。

 「アフガンのイスラム同胞たち」というサウジアラビアの言い分には意味があった。当然、ボイコットはパキスタンでも問題になる。

 アフガニスタン情勢を討議するイスラム諸国緊急外相会議の主催国だったパキスタンの大統領顧問はイスラマバード空港にサウジアラビアの外相を出迎え、記者会見で、「イスラム諸国はいずれもモスクワ五輪をボイコットすべきだと考えている」と語り、会議の参加国が一斉にモスクワ五輪をボイコットする可能性をにじませた。

 中東から参加したのはイラク、クウェート、シリア、レバノン、リビアの5カ国だった。モスクワ五輪組織委員会は少しでも多くの国を参加させようと、五輪参加と第三国での反植民地、反人種差別運動とを結びつけて中東諸国のスポーツ指導者に訴えたが、功を奏したとは言い難い。

 それから32年、ロンドン五輪を迎えて、サウジアラビアはようやく女性選手の出場を認められる国になった。国際オリンピック委員会(IOC)と協議を重ねてきた末のことだが、それでもたったの2人。リオデジャネイロ五輪は4人に増えただけだ。かつて力を得た原理主義がスポーツ界でも優先されるところは基本的に変わっていない。

 振り返ると、イスラム原理主義の台頭は79年のエジプトとイスラエルの電撃的な和平に発端があった。和平に反発する勢力がテロ集団へとつながる。この和平を橋渡ししたのがカーター大統領だった。歴史はどこかで力を及ぼし合っていると感じる。=敬称略(蔭山実)