もっと野球を もっとキャッチボールを 論説委員・別府育郎 

日曜に書く

 ◆球春

 2月1日、プロ野球がキャンプインする。球界の正月である。海を渡る大谷翔平やプロ入りした清宮幸太郎ら新天地に挑む才能の近未来にも胸が躍る。

 社会人野球の名門、東京ガスでは、山口太輔さんが新監督に就任した。慶大時代は東京六大学で11本塁打の強打者。広報部勤務のころに知己を得、草野球で彼の猛烈なサードライナーをつかんでグラブの中の指3本を紫に腫らしたことがある。ゴルフで350ヤードのビッグドライブに驚嘆したこともある。スコアはなかなかまとまらないが。

 抱負は「都市対抗での優勝」と、「野球界の力になりたい。子供たちに野球を好きになってもらいたい」。昨年12月の就任直後、東京ガス大森グラウンドで大田区内の少年チームを対象とする野球教室を開いた。

 まず教えるのはキャッチボールだ。「捕りやすい所に投げ、足を動かして正面で捕る。相手の気持ちになる思いやり、優しさが大事だ」と。

 山口さんの原点もキャッチボールにある。ただ柔道家でもあった父は厳しく、胸に投げなくては捕ってくれない。それたボールは自ら拾いに走った。それが父子の対話であり、正しく投げることの楽しさ、うれしさを教えられた。監督としてこれからは、優しいばかりでなく、父の厳しさも必要となる。

 ◆夢の球場

 原田マハに「キネマの神様」という小説がある。作中、ギャンブルで身を持ち崩した主人公の父親が、ブログに映画評論を書く。例えば、「フィールド・オブ・ドリームス」。

 《夕暮れに野原で父とするキャッチボール。そのときの光景を思い出にもつ人は、幸せな人だと小生は思います。少年の頃のキャッチボールほど、鮮烈に五感に残るものはないのではないでしょうか。風と草と土の匂い。ミットに沈むボールの力強さ。父、息子、父、息子。ふたりの男のあいだを往来しているのは、ボールのかたちをした絆なのです》

 同じ映画への個人的な郷愁はシューレス・ジョー・ジャクソンが手にする平たいクリームパンのようなグラブにあった。父が、同型のグラブを手にはめていた。3年前の当コラムに、そう書いたことがある。

 その際は、映画には登場しない原作の登場人物、シズンズ老人の言葉を紹介した。《野球を称(たた)えよ。その言葉は虜囚を解き放つだろう。死者をして立たしめるだろう。きみたちのなかに野球という言葉は生きているか? 世に出て野球を語れ》

 掲載直後、山口さんからメールをもらった。文面には「社会人野球を引退して以来、野球を語る機会が減っているように思いました。もっと野球の良さを深く考え、語っていきたいと思います」とあった。だから、彼の新監督としての抱負が、とりわけ心に響いたのか。

 ◆もっと野球を

 正月になると松原徹を思い出す。長くプロ野球選手会の事務局長を務めて3年前の9月、58歳の若さで亡くなった。

 その週末、プロ12球団の全選手、全審判員が喪章をつけて試合に臨み、全試合の開始前に黙祷(もくとう)をささげた。

 10代のころからの、長い友人でもあった。毎年正月には同年の友人の集いがあり、彼はいつもその中心にいた。昨年も今年も、集いは自然と彼をしのぶ会の様相を帯びた。

 松原は平成23年、雑誌「経済界」の取材にこう答えていた。

 「ほんの少し前まで、公園や路地でキャッチボールに興じる子供たちや親子の姿が見られました。しかし最近では、安全性の問題から禁止する公園が続出し、エンターテインメントの多様化から、その機会が減っている」「たった1個のボールと1人の相手がいればできるが、簡単そうに見えて奥が深いこのコミュニケーション手段を、どうすれば復活できるか」

 松原はシーズンオフに現役選手らと被災地をはじめとする全国を回り、少年野球教室でキャッチボールの重要性、素晴らしさを説き続けた。それ自体を競技化した「キャッチボール・クラシック」の普及や、安全性を重視した専用球の開発、販売などにも文字通り命を削った。

 この10年間で、小中学生の野球人口は66万人から49万人に激減したという。今年亡くなった星野仙一さんも、キャッチボールをする場がなくなることを嘆き続けていた。

 切に願う。もっと野球を。もっとキャッチボールを。論説委員・別府育郎 (べっぷ いくろう)