新聞を指先で「なぞる」71・4% 「めくる」68・5% 1月21日

産経抄

 新聞は3つに大別できるという。配達されて、まだ読んでいないもの。ざっと目を通しただけで、すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。「これはまさしくシンブンである」と、作家の向田邦子さんが昔日のエッセー『新聞紙』に書いている。

 ▼向田説は続く。日付が変われば、新聞は「新聞紙(シンブンシ)」になり、1週間もたてば「シンブンガミになってしまう」と手厳しい。確かに足の早い果実と同じで、きょうのニュースも日をまたげば「旧聞」になる。新聞の一生を過不足なく表した名言だろう。

 ▼いかに鮮度の高いシンブンを読者に届けるか。深夜に及ぶ編集・製作現場の格闘もそこにある。「これを使うようになってから新聞を開かなくなってね」「便利ですからね」。電車内でスマートフォンを手にしたビジネスマンの会話は、それゆえチクリと胸を刺す。

 ▼ニュースをインターネットで読む人の割合が、新聞の朝刊を初めて上回った。新聞通信調査会の調べによるとネットは71・4%、朝刊は68・5%という。スマホ派の会話に胸を痛めた身は、新聞の意外な善戦に驚きつつ、さらりと抜き去った電子化の波に嘆息する。

 ▼新聞各社もネット配信の遅速を競うようになったいま、スマホを商売敵とはなじれない。米紙ニューヨーク・タイムズは有料電子版の好調を映し、純利益をはね上げた。指は紙を繰る時代にあらず。画面をなぞる新聞「指(し)」が、打ち出の小づちになる世の中である。

 ▼向田さんは多いときで11紙を購読していた。「新聞神(がみ)」と呼ぶべき人だろう。〈新聞を跨(また)ぐ子あればいましめぬ新聞にて半生をつなぎ来しかば〉持田勝穂。紙であれ電子版であれ、またがれず、開かれるシンブンを作らねばと自戒の針を胸に刺す。