冷たい戦いを超えて(9)スポーツは重要で難しい「労働」

オリンピズム

 「泳ぐコンピューター」。人は彼のことをそう呼んだ。モスクワ五輪の競泳男子で圧倒的な強さを見せたソ連のウラジーミル・サルニコフ。1500メートル自由形で当時の世界記録を一気に4秒以上も縮める14分58秒27で優勝し、初めて15分の壁を破った。

 31年前の1949年、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進が出した世界新記録18分19秒0と比べると、3分20秒余り短縮。37年後の現在、世界記録は14分31秒02で、27秒余りしか短縮されていないことを思うと、当時、「驚異的世界新記録」と報じられたのもうなずける。

 サルニコフは弱冠20歳だった。遠洋航路の船長を父に持ち、7歳のころから水泳の英才教育を受けた。「スポーツマスター」の称号を持つレニングラード体育大生と伝えられたが、労働者や軍人のためのスポーツクラブのような組織で鍛錬を積んだという。

 その姿は、ソ連の五輪参加で問題となった「ステートアマチュア」、国家から報酬や身分保障を受けてプロ同然に競技に専念するアスリートを象徴していた。人間離れした泳ぎの秘密を当時の産経新聞は日本水泳連盟幹部の話としてこう伝えている。

 《年十カ月も練習に没頭できる国家的バックアップ。コーチに盲従させるやりかたをとらず、本人の自覚で課題を克服しているアメリカのトレーニングを導入していることが大きい》

 記事は続けて、「国家的バックアップ」の一つとして「徹底した科学トレーニング」を挙げている。

 当時の国際オリンピック委員会(IOC)が報酬目あてで競うことを嫌う一方、ソ連当局は国家を後ろ盾に「ステートアマ」による労働者スポーツの確立を目指した。ソ連の五輪参加の実情を研究した論文『五輪、ソ連スポーツ当局と冷戦』はこう指摘する。

 《選手は計画目標以上の成績を挙げると表彰される“労働の英雄”に似ている。スポーツ交流は娯楽ではなく、外交であって、重要で難しい労働とされた。最もふさわしい国家代表はとくに鍛えられた責任ある労働者であり、同時に、国際情勢や外交の優先事項を理解し、外国語ができ、外国の環境でも快適に仕事ができるかが求められた》

 ソ連の五輪参加が議論され始めた47年、IOC副会長だったアベリー・ブランデージは「アマチュアは楽しみのためにスポーツを行い、身体や精神、社会的な利益を引き出すためにそれを行う者、また、直接、間接を問わず、いかなる報酬も受けることなく、娯楽として行っている者をいう」と定義した。

 ソ連の選手はこれに当てはまらないと思われた。だが、IOCは五輪の理想を追求し、組織の規則を守らせることを念頭にソ連参加へ妥協を図った。驚異的な泳ぎは「偶然から生まれたものではない」と淡々と語ったサルニコフ。「ステートアマ」の問題は不問のまま、ソ連はスポーツ大国となり、冷戦もまた激しさを増していった。=敬称略(蔭山実)