「天皇の島」ぺリリューを訪ねて思った 戦後日本の平和を守ってきたのは憲法9条でも日米同盟でもない 英霊たちの精神だ

葛城奈海の直球&曲球
パラオ諸島ペリリュー島に現存する滑走路脇に残る95式軽戦車

 「あれがペリリューだよ」。指された島影に、目を疑った。「中川州男(くにお)大佐率いる日本軍が74日の激戦に耐えた島」として想像していたのとは比較にならないほど小さく扁平(へんぺい)な島だった。広さは約13平方キロメートル。東京ドーム約276個分である。米軍が「スリーデイズ、メイビー・ツー」と豪語し3日で攻略できると考えたのも無理はない。

 中川大佐らが自決した11月24日(昭和19年)を前に、パラオ共和国ペリリュー島を訪ねた。第一次世界大戦後、国際連盟によって日本の委任統治領となったパラオ。今でもパラオ語の約25%は日本語といわれるほどの親日国だ。

 19年9月、パラオへの攻撃が始まった。戦闘に巻き込まないため、「貴様ら原住民と一緒に戦えるか!」と中川大佐が心を鬼にして冷たい言葉を吐き、全島民を疎開させた逸話は有名だ。兵力約4倍、火力数百倍と戦力は米軍が圧倒していた。これに対し、日本軍は隆起サンゴ礁の洞窟をツルハシで掘り進めて要塞化。持久戦に持ち込んだ。

 「中川大佐終焉(しゅうえん)の地」の洞窟にひとり入り、ライトを消して、しばし瞑目(めいもく)した。先人たちは、生きてこの島から出られないことを知っていた。知った上で自らの体を囮(おとり)にして一日でも長く敵を引きつけ続けることが祖国の守りに繋(つな)がると信じ、最後の最後まで命を使い切った。見事な生き様(ざま)、死に様であったと思う。

 食糧も弾薬も尽きながら、いつまでも戦い続ける日本軍に米軍は驚愕(きょうがく)したに違いない。そして、心の底から思ったはずだ。こんな連中とは二度と戦いたくない、と。特攻で散華された方々が思わしめたことと同じであろう。戦後日本の平和を守ってきたのは憲法9条でも日米同盟でもなく、こうした英霊たちの精神・戦いぶりではなかったか。

 ペリリュー神社の一角に、米太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督の言葉が刻まれていた。「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢に愛国心を持って戦い そして玉砕したかを伝えられよ」。日本軍の驚異的な力の源を知った米軍は、ペリリューを「天皇の島」と呼んだ。

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【プロフィル】葛城奈海

 かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。