天の時、地の利、人の和 論説委員・別府育郎

日曜に書く

収穫の一年

 皇后陛下美智子さまは10月20日、83歳の誕生日を迎え、文書でこの一年を振り返られた。その中に、この一節があった。

 「陸上競技百メートル走で、遂(つい)に一〇秒を切る記録が出、続いて一〇秒〇〇の好記録がこれを追う等、素晴らしい収穫の一年でした」

 日本選手がついに10秒を切ったのは9月9日、桐生祥秀(東洋大学)の9秒98であり、10秒00でこれを追ったのは9月24日、山県亮太(セイコーホールディングス)である。

 偉いのは走った桐生であり、山県である。ただし「初」の壁は、一人の力ではなかなか越えられない。人類で初めて10秒を切ったジム・ハインズ(米国)は、選手生活の絶頂で空気抵抗が少ない高地開催のメキシコ五輪という、最高の舞台を得た。天の時、地の利である。

 桐生の場合は、追い風1・8メートルという公認ぎりぎりの好条件を天の時、過去に女子100メートルの日本記録も生んだ優れたトラックを地の利と呼んでいいのかもしれない。

 孟子曰(いわ)く、「天時不如地利、地利不如人和(天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず)」。人の和とは何か。

3ミリの削り

 辻広組(福井市)の専務、塚本純一さんは工事部係長の藤野敬博さんと福井県営競技場のスタンドでレースを見守った。会場は立ち見も出る超満員。直前に開催されたロンドン世界陸上の興奮を引きずり、記録への予感があったのかもしれない。

 もっとも大会ポスターの主役は、世界陸上100メートル代表の多田修平(関学大)だった。決勝レースも多田が先行し、桐生がこれを追って抜いた。電光板に「9・98」の記録が表示されると、会場は地響きのような大歓声と長い拍手に包まれた。

 駐車場まで約1キロの帰途、近所の人らに「何があったんですか」と聞かれた。それほどの歓声だった。「100メートルの日本記録が出ました。9秒台が出たんです」。説明を繰り返しながら、「トラックは私たちが造ったんです」とまでは言えなかった。言いたかったけれども。

 辻広組は昭和55年、県営競技場のトラックを全天候型に全面改修し、以降5年ごとの部分改修も手がけてきた。来年の福井国体を前に昨秋、再び全面改修を完成させたばかりだった。

 表面のウレタン部分を3ミリ削り、コーティングを施す。一律ではない。100メートルのスタート付近や、中長距離走者が酷使する内側レーンでは摩耗の度合いが激しい。不等沈下の表面を均一にするための微妙な削り加減は熟練の経験と勘による。

 競技場のデジタル化により、レーンの下には縦横に電気配管が通る。その影響を表面に、ランナーに与えてはならない。細心、最高の技術をトラックに込めた。だから、桐生の記録が誇らしかった。

歓喜の小さな輪

 スターターを務めた福岡渉さんは電光板の風速表示を見た。「1・8」。記録9秒98が確定する。自然と両手が挙がった。審判仲間が駆け寄ってきた。100メートル先ほどの大きなものではないが、小さな歓喜の輪ができた。「本当は、はしゃいではいけないんですけどね」

 北風が吹き続けていた。追い風である。スタートから10秒間の平均風速が2メートルを超えては記録が公認されない。この日、100メートル決勝までずっと「参考記録」のレースが続いていた。

 県陸協のスターター主任である福岡さんは、スターターの割り振り役でもある。自身の出番は100メートル決勝に決めた。素直に「撃ちたかった」からだ。

 朝から吹き流しの風を読み続け、一定の法則性をつかんだ。選手の背中を押す気持ちで「オン・ユア・マーク(位置について)」のオンにアクセントをつけたのは、いつも通り。

 風が強まる。「セット」。そして号砲。振り返ると選手はすでに80メートルあたりを駆け、50メートル付近の吹き流しは真下を向いていた。読みは当たった。桐生と、握手を交わした。

 「人の和」とは、「思い」の集合なのではないか。

 アシックス社は今季、市販品のスパイクをベースに「桐生モデル」を改良し、ピンの配置も変えた。山県や多田、サニブラウン・ハキーム(東京陸協)、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、飯塚翔太(ミズノ)ら好敵手の活躍も力を与えた。

 そうした中で、桐生が先陣を切った。10秒足らずの、短くも壮大なドラマである。(べっぷ いくろう)