道徳の教授がいない 論説副委員長・沢辺隆雄

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 道徳教育のシンポジウムで不思議な話を聞いた。教員養成系大学の教育学部で、道徳の講義を担当する教授が足りなくなっているという。

 先月、公益社団法人「日本弘道会」の主催で、教科となる道徳の指導や評価法などについて意見が交わされた。その中でパネリストが明かしたことだ。

 教科化に伴い道徳に詳しい専門家が「ひっぱりだこ」というなら歓迎できる。しかし実情は違い、道徳教育の課題を象徴する話だった。

 戦後、修身科が廃止され、昭和33年に小・中学校で「道徳の時間」が創設された。「教科」ではなかったため、もともと専門研究者の人材が少ない。

 教員免許取得のため、道徳の講義はあるものの、単位数は少なく、それも教育史や教育哲学といった専門外の教授らが教えている例が多いという。

 教育学部改革の一環で文部科学省が課程(カリキュラム)認定を厳格化する中、専門外では「まずい」となったが、見回しても専門家がいない。いじめ問題のほか、ネットで情報が飛び交い価値観が多様化する現代の教育で、道徳教育の理論と実践にわたり一層、専門家が求められているにもかかわらずだ。

 明治維新から150年。シンポジウムを主催した日本弘道会は明治9年に誕生し、140年の長い歴史を持つ。『虹 日本弘道会のさらなる発展のために』(平山一城著、悠光堂)に詳しい。同書で現在の第9代会長、鈴木勲・元文化庁長官が、江戸の学者、貝原益軒の『和俗童子訓』から「飢寒三分」の考えを引いた指摘がある。

 「飢寒三分」は古くからの中国の教えで、少しおなかがすき、寒いと感じる方が育児や健康長寿のためになるという。

 豊かになった社会で「三分の飢」をどう教えていくかは「教育のパラドクス」だと言い、「教える教師の情熱」と「学生の意欲」がカギだと説く。

 物事を多角的に考える道徳は全ての教育活動につながるはず。その指導ができずに教師といえるか。道徳の教科化は改めて師の役割を問うてもいる。