公教育にもっと民間の知恵を 論説委員・佐野慎輔

日曜に書く

 タイトルに引かれて、シンポジウムをのぞくことがある。先々週末、東京国際フォーラムで開かれた「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2017」の分科会『変わる社会 変わる教育』がそれだった。

 ◆目的喪失の時代に

 べつに教育学を学んだわけではない。教育問題を取材したこともない。大学で講義をもつものの、まったくの素人は、まず「学校教育」が頭にうかぶ。

 しかし、この日の討論では、コーディネーターの市川力さん(54)をはじめ、4人の登壇者は公教育に携わった経験がない。違う角度から教育を見てきた人たちである。

 マーケティングコンサルタントの男性は、今の時代を「目的喪失の時代」と定義し、「内発的な動機が失われ、イノベーションを担う人材が出てこない」と指摘する。

 確かに公教育は、画一的で詰め込み式、偏差値にとらわれていると批判されて久しい。彼は返す刀で、「本物の学びとは、時間と戯れるものではないか」と問題提起した。

 「変動的で不確実で、複雑で瞬時に反応を求めるような状況を、近代的な発想で解決しようとすると、子供の豊かな時間が奪われる」

 そう説く女性は米国在住経験から、長女の小学校入学を機にオルタナティブスクール『こたえのない学校』を立ち上げた。伝統的な教育、公教育とは異なる学校である。「時空を超え、探求心を大切に自分の人生を生きる」教育を掲げた。

 そして、自然と触れ合う体験型スクール『原っぱ大学』を主宰する男性は、「ただ遊ぶ」大事さを強調した。

 この大学では、原っぱや森の中で大人も子供も一緒になってたき火や泥遊びに興じ、オノやチェーンソーを使って小屋を作ったりもする。教えるより一緒に楽しむ。「体験こそ学び」との信念がのぞく。

 ◆野の学び場が必要

 市川さんは若い頃、ニューヨークで日本人子弟対象の学習塾を開いていた。その教え子たちの多くは帰国時になっても日本に戻らず、現地やほかの国の学校に進学していく。

 「ショックでした。何がそうさせるのか、自分なりに悩み、勉強しました」

 日本に戻り、行き着いた先がオルタナティブスクールへの運営参加だった。

 「学びは、公教育以外の方が多い。でも、塾や習い事は学校化している。学びの個別化、その子に合わせたカリキュラムには、『野の学び場』が大事なんです」

 13年間、「野の学び場」で子供たちを自由に遊ばせた。彼はこの日、討論の場に4人の中・高生を伴っていた。3人の男子は教え子で、校長先生だった彼を「おっちゃん」と呼ぶ。先生と生徒ではなく、遊びを教える近所の“訳知りのおっちゃん”の体である。

 1人の女子生徒は都立高校に通う帰国子女。飽き足らない授業の合間にベンチャー企業の代表を取材したり、SNSで翻訳業務も務めたりしている。「おっちゃん」は相談相手だ。

 定員120人の会場は立ち見もでた。4人は場の雰囲気にのまれることなく、理路整然と自己紹介。自分の言葉で思いを伝え、聴衆を驚かせた。

 ◆彼らは特別な存在

 高校1年の男子はこう話す。「授業もテストもない中学校に通い、一日中、ゲームを続けたけれど、その1年間は呆(ほう)けていた。ある日、本を読んでいて社会問題に興味を持ち、政治問題に関心を持つようになり、本気で勉強しようと思った」。すでに高卒認定資格も取った。

 目的意識が定まっているからか、整然と自己が語られる。誰に言われることなく、自ら興味の対象を見つけ、本気で勉強を始めた。彼だけではない、4人ともそうした体験を語った。

 質問攻めにあう4人をながめて、ふと思う。彼らはしかし、特別な存在だろうな、と。

 自由な教育をうけるための費用は決して少なくない。親の理解と支援に恵まれた環境。何より彼ら自身が優秀な素質を持っている子たちであろう。だから彼らの学びの過程は、決して敷衍(ふえん)的な教育とはなり得まい。

 改めて、遍(あまね)く学びの機会をくれる公教育の重要性を思う。しかし、このままでいいはずもない。公教育に彼ら民間の知恵や発想を加え、興味のわく魅力的なカリキュラムを提供したい。公と民との融合が社会に変革を生む原動力だと信じたい。(さの しんすけ)