冷たい戦いを超えて(6)「五輪参加は理想でも、ソ連がさも正しいと世界に思わせてしまった」

オリンピズム
東京での主要国首脳会議で会見するサッチャー英首相。西側自由主義陣営の旗手としてモスクワ五輪と戦うことになった=1979年6月

 「ボイコットの効果は期待には及ばないことがうかがえる。いくつかの競技で欠場が多くなったにもかかわらず、ソ連当局が五輪のような大きなスポーツ大会をうまく運営できる兆候は十分にある」

 1980年7月、モスクワ五輪開幕直前、在ソ連英国大使館の高官は本国にそう公電を送っている。ボイコットを要請し続けたマーガレット・サッチャー首相には受け入れがたい報告であっただろう。

 「モスクワ五輪はソ連政府の宣伝のために行われる。そのような五輪はもはや選手の期待に沿うものではなく、英国選手が参加することは英国の国益にも、また広く西側の利益にも反し、悪である」

 英国オリンピック委員会(BOA)のデニス・フォローズ会長に首相が送った手紙の趣旨だ。「モスクワでメダルを取っても価値は下がり、表彰式も見え透いたまねごとでしかない。五輪はボイコットされるからだ。大会は五輪の名にも値しない」とも付け加え、翻意をうながした。

 首相の要請に賛同した競技団体もないことはない。馬術。期待の女性選手のルシンダ・グリーンは「ソ連は他人の自由を踏みにじった。それを気に病まずしてどうして競技に参加できるのか」と、不参加を後悔することはなかった。ソ連軍のアフガニスタン侵攻に反発してフランスで開かれた代替大会に出場する。

 それでも五輪を目指して練習を積んできた選手の大半は首相の主張に納得しなかった。ただ、苦悩はつきまとった。競泳男子平泳ぎ100メートルで金メダルを獲得したダンカン・グッドヒューは英BBCテレビにこう語っている。

 「義理の父が戦争の英雄でモスクワ五輪参加に反対だった。私の母と激しく口論していたのを覚えている」。選手自身だけでなく、家族を巻き込むような、つらい葛藤があったことがうかがえる。

 そうした苦悩を乗り越えて五輪に英国選手は参加することになったのだが、モスクワでのメダリストをサッチャー政権はどう迎えたのか。ここでも英外務省での興味深い検討結果がある。

 「英国の多くの選手が政府の指示に従わず、モスクワ五輪をボイコットしなかったのは遺憾である。しかし、米国と西ドイツが参加しなかったことで英国の選手が栄光をつかんだと考える向きもあるが、4選手はそうでなくともメダルを取っていただろう」

 陸上のスティーブ・オベットとセバスチャン・コー、アラン・ウェルズ、デイリー・トンプソンの4人のことである。英政府の本音と建前がにじんでいる。

 だが、首相はかたくなだった。英王室に要請して、五輪の金メダリストなら間違いなく参加する新年の行事から締め出した。「五輪参加は理想でも、ソ連がさも正しいと世界に思わせてしまった」。五輪歌と五輪旗の下での参加でも、見る人は英国代表と受け止める。最初から最後まで政治には妥協するしか手はなかったようだ。=敬称略(蔭山実)