冷たい戦いを超えて(5)「参加しなければアフガンで起きていることを何も変えられない」

オリンピズム
男子100メートル決勝のゴールの瞬間。アラン・ウェルズ(左端)がシルビオ・レオナルド(右端)を僅差で破った=1980年7月25日(UPI=共同)

 モスクワ五輪で苦しんだのはセバスチャン・コーだけではなかった。陸上男子100メートルで金メダルを獲得した同じ英国のアラン・ウェルズの五輪はもっと凄惨(せいさん)だった。コーとは比較にならない、陰湿な圧力を受けていたからだ。

 「首相官邸から手紙が届いた。その中に写真があり、その一つに、うつぶせになり、人形の方に手を伸ばそうとして息絶えたように見える少女の姿があった」。ウェルズは英BBCテレビに、そのときのことをこう語っている。

 首相官邸からのその手紙には、「これがソ連軍がアフガンで行っていることだ」との文言があった。「一生忘れることができない」。そう思わせることによってモスクワ五輪への参加を断念させるというのが当時の英政府の思惑だったのである。

 だが、それは裏目に出た。「写真を見たときに出場すると決意した。政府から手紙を受け取れば、誰もが身を正し、敬意を表するはずだが、もし参加しなければ、アフガンで起きていることを何も変えられないと思った」。英国オリンピック委員会(BOA)もウェルズと同じ立場だったことが唯一の救いだった。

 100メートル決勝。ウェルズは8レーンで、1レーンのキューバのシルビオ・レオナルドと事実上の一騎打ちとなった。10秒25という平凡なタイムで同着だったが、鼻の差でウェルズが勝者になった。

 「周囲から圧力はあったが、なんとか意識を整えられる程度に収まっていた。ゴールして大型スクリーンでリプレーを見た。かなりぼやけていても僅差で勝ったと思った。表彰式は五輪旗と五輪歌で行ったが、それが最低限できること。残念でも正当だ」

 ウェルズは200メートルでも金メダルを期待されたが、今度は僅差で敗れる。

 「勝っていたら大違いだっただろうが、決勝に残ることだけでも素晴らしいこと。メダルの色は関係ない。金メダルを一つ取っただけでも人生でこの上ないことだ」

 ただ、米国勢がいないことでレベルの低い戦いになったと感じる人は多かった。当時の産経新聞も共同通信電として、こう伝えている。

 《「世界一速い男」を決めるオリンピックの男子百メートル決勝。だが、モスクワ大会の勝者にその称号を与えることは妥当だろうか。(中略)西側主要国のボイコットにもかかわらず、高い水準をみせている今大会の陸上競技だが、男子百メートルだけは例外といわざるを得ない》

 金メダルを取っても歓迎されない。英政府の陰湿な圧力を振り払ってまで参加したウェルズには言いしれぬ悔しさだった。だが、問題はそこで終わらなかった。

 2012年ロンドン五輪。英BBCテレビは内部告発として、ウェルズがモスクワ五輪当時、薬物を使用していたとの疑惑を報じ、衝撃が走った。母国での五輪を目の前にして疑惑を完全に否定する金メダリスト。あれほどまでに苦労したモスクワは、どこまでも晴れなかった。=敬称略(蔭山実)