冷たい戦いを超えて(4)負けるとしたら自分だけ 見知らぬ敵地で得たイギリス選手の金メダル 「モスクワを早く終わらせたかった」

オリンピズム
男子1500メートルでのセバスチャン・コー(中央、254)の金メダルを報じる英紙タイムズ=1980年8月

 英国では200万人以上が仕事の手を止め、通りの電器店前にも繰り出してテレビ画面にくぎ付けになった。1980年8月1日、モスクワ五輪も大詰め、陸上男子1500メートル決勝。セバスチャン・コーには競技人生を懸けた一戦になったといっていい。

 800メートルに敗れた翌朝、十種競技で金メダルを取った同僚のデイリー・トンプソンがコーの部屋に来た。「“天気”はどうだい」「“曇天”だ」。コーはそう答えるのがやっとだった。そこでトンプソンが冗談か本気かわからない話をする。

 「君が1500メートルで金メダルを取った後、(スティーブ・)オベットの奥さんと、君の父、私の叔母の3人でそれぞれ金メダルを持っているところを写真に撮るというのはどうだ。メディアが喜ぶぜ」

 コーは思わず笑ったが、笑える気分ではなかった。

 転機となったのは予選前日、56年メルボルン五輪陸上男子3000メートル障害で金メダルを取った英国陸上界の大先輩からの手紙だった。そこには1500メートルをどう走るべきかが手書きでつづられていた。

 「君の才能があれば十分に優勝できる。フィールドでは君が一番速い。負けるとしたら、それは自分に、だ。君はレースを支配することができる。必要なのは鉄の意志を持つことだけだ」。漠然とした内容だったが、コーに必要なことが凝縮されていた。

 準決勝前に胃が痛くなり、薬をのんで横になる一幕もあったが、父でコーチのピーター・コーはこう言い続けた。

 「トップから1歩以上離れずに最終コーナーに入れ。ほぼ2レーン目を走れ。誰かが追い抜こうとしても、さらに外側を走らなければいけなくなる。対応できるスペースを確保して、そのときが来たらトップを追い抜け」

 準決勝をトップタイムで通過すると、決勝当日は800メートルと違い、「すぐにトラックに出て、決勝に挑みたかった。直前に気持ちを遮断するのも今回はうまくいった」。自信を取り戻しつつあった。

 9人が並び、スタートを切る。東ドイツのユルゲン・シュトラウブと並んで先頭に出る。慎重なレース展開で、800メートルまで変化はなかった。ここでシュトラウブが動く。それを追うコー。最終コーナーで加速し、シュトラウブを一気に追い抜いた。

 「スタートは歩くようなペースだったが、ふらついたところはなかった。最終コーナーはもう中距離ランナーの世界ではなかった。脚を駆り、腕を使う。残り40メートルでさらに加速した。もう力は残っていなかった」。ゴールしてうずくまるコー。まさに圧巻の脚力を見せた。

 「モスクワを早く終わらせたかった」。そうとも思ったという。見知らぬ敵地で自分を見失い、周囲と葛藤する世界からようやく逃れることができたのか。そのとき、トンプソンの夢もまた現実のものとなった。=敬称略(蔭山実)