冷たい戦いを超えて(3)五輪では思うままに走らない

オリンピズム

 1980年7月26日、レーニンスタジアムの夕暮れはそれまでになく涼しかった。モスクワ五輪第8日。「今夜7時半、このときを待っていた」。英紙デーリー・テレグラフ記者は陸上男子800メートル決勝を前にそう語った。

 それもそのはず、前年に世界記録を更新した英国のセバスチャン・コーに、同じ英国のスティーブ・オベットが挑む展開になるのは衆目の一致するところだった。だが、現実は予想に反した。

 風は舞っていたが、競技に影響はなかった。8人の選手が位置につき、号砲が鳴る。そのとき、コーを取材してきた記者のデービッド・ミラーは目を疑った。「1万メートル走のようなゆっくりとしたスタート。砂の上を走っているかのように見えた」

 一番外側の8レーン。どんな作戦も可能だった。レーンがオープンになって誰かが前をよぎる危険もない。コーが飛び出すレース運びになると思っていた。

 トップが400メートルを通過しても最後尾を軽やかに走るコー。目の前はオベットだったが、事情が違った。前をふさがれて思案していたオベットは先に動く。外側から加速し、最終コーナーを抜けてトップに。コーはここでスパートをかけ、残り40メートルで3位、20メートルで2位に上がったが、恐るべき走力もここで尽きた。

 予選は平穏無事でも決勝は異なる。「誰もがそれまでにない力を発揮する。走力では自分が一番。最も安全なのは、抑えて走り、先頭についていき、最後に150メートル以上を全力で走ること」。確かに最後の走りは歴史に残るだろう。記者室では「比類なき勝負だった」とも語られた。問題は、それをコーが意識できていなかったことにあった。過度の緊張が戦術の行方を微妙に狂わせていたのだ。

 「前夜はまったく眠れず、横になっても心臓の鼓動が気になった。昼食でオレンジジュースをひっくり返したり、コーヒーにクリームの箱を落としたり。いつもはレースの数分前に集中して周囲を遮断するが、この日はまだ45分も前にそうなった」

 控室。支給された上着がすり切れていた。世界記録を破ったときの縁起物を取り出してゼッケン「254」を付け替える。しかし、効果はなかった。「スタートが鈍く、手応えがなかった。最下位でも慌てなかったのは、まだ先頭が固まっていたからだ」

 8人の選手が途中から幅3メートルの間をほぼ全力で走り、優位な場所を争う800メートル。妨害は許されず、頼りは戦術だけといっていい。仕掛けるところで動かず、無意識のまま走る。「五輪の決勝でそれをやってはいけないと悟った」

 英政府の意向に反してまで臨んだ五輪。表彰式では金メダルのオベットを祝い、参加の条件として英国オリンピック協会(BOA)が決めた五輪旗が掲揚され、五輪歌が流れた。「1500メートルに向けて余計な重荷を背負うことになった」。コーは図らずもモスクワの闇に紛れることがうれしかった。(蔭山実)