小石をながめ天平の歴史に思いをはせるはずが…

ん!?

 机の上に散らばる石を眺めている。十数個。小さいのは米粒ほど、大きいのはビー玉ほどのサイズ。1300年前の石なのだ…というと不正確か。正しくはその間、動かされずにずっと埋まっていた石。その場所が珍しく、薬師寺東塔(奈良市西ノ京町)の基壇だという。つまり長年国宝の下敷きになっていた小石たちなのだった。

 東塔は創建時のまま現存する建物で、平成21年から解体修理が行われている。その機会に、基礎部分の土を「作陶に使わせてほしい」ともらい受けたのが地元の赤膚焼窯元「香柏窯(こうはくがま)」。胎土をつくるとき、小石はふるい分けられた。

 じつは奈良が郷里で、窯元を継いだばかりの八代目尾西楽斎氏は高校時代の同級生。先日、東京都内で開かれた展示会で久々に再会して、「こんなことやってんねん」と古都ならではの物語を教えてもらった。会場の一角に、礎石をかたどった香合(こうごう)とか、1300年前の土で作った茶道具が並んでいた。

 土も石も、国宝を支え続けていたのだと思うと、なにやらありがたい。石は気前よく来場者に分けていたので、なにかと石好きの私ももらってきた。

 楽斎氏によると赤膚焼は「特徴がないのが特徴」だそうだ。幕末の陶工、奥田木白が「諸国焼物模物所(しょこくやきものうつしどころ)」の看板を掲げ、全国各地のどんな陶芸品も写しを作って名声を博した。「そのおかげで僕らも自由に何でも作れる」と笑う。国宝の基壇をちょっとそれ使わせて、という大胆さも、まさに伝統か。

 石をつかみ上げる。手のひらでコロコロしながら天平の歴史に思いをはせる…はせようとしたのだが、どういうわけだか、薬師寺を横目に見ながら電車通学していた高校時代のしょぼくれた思い出ばかり浮かんでくるのだった。(篠原知存)