冷たい戦いを越えて(1)ここは孤独だ。潜水艦乗組員はこんな心境か

オリンピズム
いまもレーニン像がにらみを利かすルジニキスタジアム。モスクワ五輪当時は「レーニンスタジアム」と呼ばれていた=8月31日(黒川信雄撮影)

 ブリティッシュ・エアウエィズ機が空港に到着したとき、戦いはすでに始まっていた。1980年7月、ソ連の首都モスクワ。冷戦時代のまっただなか、社会主義陣営で初めて開催される五輪に参加するため、ソ連の玄関口に、彼は降り立った。

 英国から世界を代表する陸上の中距離ランナーとなったセバスチャン・コー。そのときからどこか奇妙な感じがしていた。その様子を伝記『ランニング・フリー』の中で紹介している。

 「モスクワにまもなく到着いたします。楽しんできてください」。機長の声が機内に流れると失笑が広がった。だが、それは序の口だった。

 祖国の繁栄を見せつけるかのように、滑走路に整然と並ぶ旅客機また旅客機。巨大な到着ロビーは人けがなく、巨大な張りぼてのようで魂が感じられない。税関では一転して大混乱に。なんとか通過すると、同僚から「これで君も平和と静けさが得られるよ」と、冗談を言われても苦笑いすらでなかった。

 空港では所持していた本をうんざりするまで調べ上げられた。選手村に着くと、部屋が気に入ったのはよかったが、空室がかなりあった。多くの国と地域が五輪をボイコットすれば、それも当然。やがて、街中からホームレスを強制的に追い出したと聞いた。この環境が、名ばかりとはいえ五輪で勝負をかける世界記録保持者に悩みとなる。

 スタジアム以外にはどこにも行かず、殺風景で人工的な空間にずっといるとうつろな気分になってくる。「他人のことを気にする自分に気づいた。メダルを取れずに帰ることになると何を言われるのだろうか。他人に影響されるのはどこも同じだが、ここは孤独だ。他人を意識しすぎて自分を見失い始める。潜水艦の乗組員はさぞこんな心境なのだろう」。コーはそう思った。

 当時の社会主義国の実情を知る逸話としてこんな話もしている。「選手村の食堂には輸入品だったが、なんでもほしいだけ食べ物があった。ソ連の人々は五輪に備えて何カ月も前からひもじい思いをしたままだと聞いた」

 だが、東欧諸国はそこまでもいかない。「ブルガリアの重量挙げ選手がセルフサービスのカウンターからオレンジとバナナをトレーごと、すべて持っていくのを見た。生活水準がもはや口論にはならないとは驚きであったが、逆にほほえましくも感じた」

 見るものすべてが異様な“敵地”。そこにオリンピズムの理想はあるのだろうか。コーは金メダルを手にすることになるとはいえ、前途は多難に思えた。=敬称略

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 米国や日本がボイコットした1980年モスクワ五輪。ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻したことへの反発だった。だが、「スポーツと政治は無関係」として欧州主要国の選手は参加する。彼らの体験などを通じて、冷戦時代にオリンピズムはどのような影響を受け、いまにつながっているかを考える。(蔭山実)