カタルーニャの独立問題 バルサのDFピケ「代表去ってもいい」と涙、確執の根は深く

別府育郎のスポーツ茶論

 分かりにくい。スペイン東部カタルーニャ自治州のプチデモン首相が演説し、「共和国として独立を宣言する。ただし宣言の効力を凍結する」と述べた。

 中央政府のラホイ首相は独立阻止のための「どんな措置も排除しない」と強硬姿勢を崩さない。

 カタルーニャには、バルセロナがある。観光客はガウディのサグラダ・ファミリアを目指し、バルセロネータでパエリアを食い、カンプ・ノウで世界一官能的なサッカークラブに酔いしれる。そんな魅力的な地域をスペインが手放したがるはずもない。

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 1992年バルセロナ五輪の際、当地に滞在した。土産物店には交配中のブタのおもちゃがあった。腰だけがへこへこと動く安物だが、上に乗るブタはFCバルセロナの、下のブタはレアル・マドリードのユニホームを着ていた。

 それほどに両者の敵愾(てきがい)心は強い。マドリードではもちろん、上下のブタのユニホームが逆になって売られているのだと聞いた。

 五輪では現在の国王、フェリペ6世がヨットの代表選手として参加した。同僚が練習中に声をかけると、気さくに撮影に応じてくれた。カタルーニャ人のパートナーと選手村で生活し、レースに挑んだ。国内融合の象徴でもあった。

 そのフェリペ6世も、今回の独立騒動には「無責任だ」と州政府を強く非難した。これに対し、スペイン代表でバルサのDFピケは涙ながらに「代表を去ってもいい」と訴えている。

 確執の根は深い。

 カタルーニャは1714年、スペイン軍のバルセロナ包囲戦に敗れて公国としての地位を失った。1930年代のスペイン内戦でバルセロナは共和国派の砦(とりで)となり、敗れた。フランコ独裁の時代にはカタルーニャ語も禁じられた。

 2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でスペインが初優勝を遂げた際、中心選手の多くはバルサの所属で、抗議の意を込めてスペイン国歌を歌わない、と早とちりの特派員による外電を読んだ。

 誤りである。スペイン国歌には歌詞がない。

 フランコ独裁時代の歌詞を王政復古の際に破棄し、以降は全地域の住民を満足させる歌詞の制定をあきらめているのだという。

 こうした背景が、バルサとレアル・マドリードの一戦を「クラシコ」と呼ばれる全世界注目のカードに押し上げている。

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 もっとも、国内の地域間による遺恨や隣国同士のいさかいは珍しくない。

 2002年日韓W杯でイングランドとブラジルが対戦した際には、スコットランドで黄色いTシャツが飛ぶように売れたという。ブラジルを応援するためだ。ブラジルが敗れれば、アルゼンチンで花火が上がる。

 1954年、日韓の代表が初めて対戦した際には李承晩大統領が「負けたら玄界灘に身を投げろ」といって送り出したとされる。

 日本国内にもある。NHKの大河ドラマ「翔(と)ぶが如(ごと)く」で西田敏行が主役の西郷隆盛を演じた際、鹿児島出身の父は「会津の俳優に西郷さんをやってもらうことはない」と、いかにも不服そうだった。

 福島県出身で、方言も売り物にする西田だが、先日のNHK番組「ファミリーヒストリー」で、西田家のルーツは薩摩藩士だったと当人も初めて知る事実が明かされた。

 父に教えたかったが、すでに亡くなっている。