河内音頭 全国各地にも「殴り込み」を 清湖口敏

国語逍遥(89)
会場いっぱいに広がる踊りの輪。錦糸町の夜が熱気に包まれた=8月31日、東京都墨田区(イヤコラセ東京 木島ヒロミツさん撮影)

 毎年8月下旬の2日間、東京は墨田区の錦糸町で「河内(かわち)音頭大盆踊り」が開かれる。一年を通じて私が最も心浮かれる行事で、会場正面にしつらえた大がかりな舞台に入れ替わり登場する音頭取りの、それぞれ個性あふれる河内音頭を間近で聴き続け、一夜を酔い心地に過ごすのである。

 「河内音頭」を広辞苑は「(大阪府東部の)河内地方で行われる口説(くどき)形式の盆踊り唄。幕末・明治初期に成立。鉄砲節など多くの流派がある」と解説する。口説とは物語的な詞というほどの意味で、地蔵盆の頃になると河内といわず大阪の処々方々の空き地やグラウンド、寺社の境内には盆踊りの櫓(やぐら)が組まれ、河内音頭が延々と響き渡る。

 その河内音頭がなぜ、錦糸町の夜空にもこだまするのか。7年前に亡くなった一人の男の熱い思いに触れないわけにはいかない。

 作家、朝倉喬司。岐阜の生まれで大阪人ではない。週刊誌の取材で初めて河内に出向き、近鉄の瓢箪山(ひょうたんやま)駅(東大阪市)からタクシーに乗った。そのとき運転手から聴かされた河内音頭が朝倉と河内音頭との運命の出会いとなる。大阪市内に戻り、通天閣下の店で買い求めた河内音頭のレコードを聴く。「日本にもこんな音楽があったのか」

 早速「全関東河内音頭振興隊」を結成し、企画した「河内音頭・東京殴り込みコンサート」は昭和57年、東京・渋谷のライブハウスと錦糸町のパチンコ店2階で実を結ぶ。以来35年。河内音頭の盆踊りは錦糸町の夏の風物詩としてすっかり定着し、本場にも負けない賑(にぎ)わいを見せている。

 河内音頭には決まった詞もなければ、旋律も節回しも自由奔放だ。1時間以上に及ぶ長尺の「河内十人斬り」や「悪名」などの定番のほか「無法松」に「国定忠治」、なかにはグリコ・森永事件や阪神タイガース優勝といった時事ネタを主題にした「新聞(しんもん)詠み」まであり、外題は無数だ。余談ながら私の十八番(おはこ)は「(紀国屋文左衛門の)蜜柑(みかん)の宝船」と「(坂田三吉の)将棋の鬼」で、周囲の迷惑も顧みず悪声と調子っ外れの一席を聴かせるのが私の至福のひとときである。

 それはさておき河内音頭は、花笠音頭や東京音頭などよく知られた日本各地の音頭とは大きく異なり、民謡ともまた違っている。

 「リズムがちがう、パワーがちがう、踊りがちがう」(朝倉著『走れ国定忠治』)。つまり河内音頭は説経節や義太夫節、謡曲、浪曲、講談、さらには前回の小欄でご紹介した「絵解き」などとも同じ系譜につらなる「語り」芸であり、盆踊り唄なのである。

 「物語を節づけして語る形式には、どこか人をいてもたってもいられなくさせる力が本来あると思うんですよ。そうした語りもののパワーが、リズムを呼び込み、あるいはあの踊りを引き出した」(同)

 まだ文字をもたない時代では、言葉は今よりはるかに音とリズムに満ちていたはずだ。神話の口承でも、言葉の音とリズムが記憶を大いに助けただろうし、平家物語が魂のひだまで染み入るような詞章で紡がれたのも、琵琶法師らによって節付けされ、語られてきたからに違いない。

 文字文化の発達がもたらした恩恵は計り知れないが、一方で声と語りの文化は痩せていった。昭和7年の全国調査によれば、ラジオ聴取者の好む番組の第1位が浪曲で57%を占めた。以下、講談、落語、人情話、義太夫、民謡と続く(『岩波講座 日本文学史』第16巻)。時代が時代だったとはいえ、浪曲をはじめとする語り芸は国民にとってなくてはならない娯楽だった。

 「言葉には『話し言葉』と『書き言葉』の区別があるが、私はこれにもうひとつ『語り言葉』を割り込ませてみたらどうかと考える」(『走れ国定忠治』)。けだし至言である。

 かつての勢いを失った語り芸も少なくないなかで、河内音頭は発祥の大阪から東京へと広がり、埼玉県内でも踊りの練習が行われるなど活況を呈している。スピード感あふれる踊りの魅力もさることながら、河内音頭そのものが時代の変化に合わせて進化し続けたことが大きな要因ではないかと私は思っている。

 次々に新しいネタを取り込み、同じ外題でも百派千人といわれる音頭取りが独自の解釈と詞と節で挑む。即興のアドリブ挿入などは朝飯前で、楽器も太鼓に三味線が加わり、エレキギターやシンセサイザー、キーボードまで持ち込んだ。

 「念仏踊りの曲想をベースにし、浪曲からジャズからフォークまで平然と胃袋におさめていく河内音頭の生命力はしたたかだ。その生命力の根源は、これはリズムというよりほかはない」(朝倉著『芸能の始原に向かって』)

 その日、錦糸町の盆踊り会場では年配者に交じって若い人も大勢、河内音頭に耳を傾けていた。河内音頭はまだまだ進化していく予感がある。朝倉のめざした「全関東」での振興どころか、広辞苑が河内音頭の義を「河内地方に発祥し、全国各地で行われる口説形式の盆踊り唄」と書き換える日だって、そのうちやってくるかもしれない。