低迷のマラソンにかわり日本陸上界の救世主になった「競歩」…なぜ強くなったのか

正木利和のスポーツ茶論
世界陸上の男子50キロ競歩決勝で2位でゴールした荒井広宙(左)と3位の小林快=8月13日、ロンドン(川口良介撮影)

 実力は本物だ。新たなお家芸の誕生といっていいかもしれない。昨年のリオデジャネイロ五輪に続き、この夏の世界選手権でメダルを獲得した日本の競歩のことである。

 ロンドン世界陸上男子50キロ競歩で昨年の五輪銅メダルの荒井広宙(ひろおき)(自衛隊)が日本勢では五輪、世界選手権を通じてこの種目の過去最高成績となる銀メダル。さらに小林快(かい)(ビックカメラ)も荒井に続いて見事に銅メダルを獲得した。もう一人の丸尾知司(さとし)(愛知製鋼)も5位に入賞したのだから、世界に堂々と胸を張れる結果といっていい。

 荒井29歳、小林は24歳、そして丸尾も25歳と、みな20代。あと3年に迫った東京五輪に向けて、このところ低迷の続く男女のマラソンにかわり、日本陸上界にとっての救世主として現れた種目なのではないか。

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 なぜ、これほどまで日本の競歩が強くなったのか、と不思議に思っている人も多いに違いない。

 「そりゃ、一番の功労者は沢木さんだよ」というのは、かつてダイハツ女子陸上部を強豪チームに育てあげた鈴木従道(つぐみち)元監督(71)である。日本女子で初の世界チャンピオンになったマラソンランナー、浅利純子を育てたことで知られる鈴木さんだが、実は2008年の北京五輪50キロ競歩で山崎勇喜(自衛隊)が日本勢初の五輪入賞(7位)を果たしたときのコーチでもある。

 鈴木さんが、競歩の功労者という沢木啓祐(けいすけ)さん(73)は01年から日本陸連の強化委員長を務めた。その沢木さんが親しくしていた人物のひとりに故斎藤和夫さんがいる。1964年東京、68年メキシコ両五輪に50キロ競歩の選手として出場した斎藤さんは、91年の世界陸上選手権東京大会男子50キロ競歩で日本の競歩史上初の入賞(7位)を果たした今村文男・現日本陸連競歩部長らの強化にかかわった名指導者でもあった。

 「彼(斎藤さん)からの情報では強度が高いトレーニングに耐えられる体ができた選手が競歩にはいないという。確かに強度も量もマラソンに比べてお粗末だった。それで、ちょうどダイハツを定年になって体があいた鈴木くんに面倒をみてもらったんです」と沢木さんはいう。「その前に、今村(文男)くんをイタリアに海外研修させて、欧州流の歩型を学ばせていました。エンジンは今村くん、ボディーは鈴木くんに見てもらったというわけです」

 日本の競歩が成長した理由は、まず海外からの知識・情報の取り込みを含めて競技の技術レベルを上げたこと、さらにマラソンで培った肉体強化のノウハウを取り込み、選手に注ぎ込んだことにあった。その枠組みをデザインしたのが、沢木さんだったのである。

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 マラソンのような人気種目ではない。競歩選手は生活の保障という問題とも闘わねばならないが、そこで救いの手を差し伸べてくれたのが、かつて自衛隊体育学校校長を務めた東京・メキシコ両五輪重量挙げ金メダリストの三宅義信さん(77)だ。山崎をはじめとする競歩選手の受け入れ先に自衛隊を紹介してくれたのだという。

 実は沢木さんと鈴木さんは約半世紀前のメキシコ五輪にトラックの長距離種目で出場した間柄でもある。

 「そのころは競技の枠を超えて、選手はみな仲がよかったんです」と沢木さんは懐かしむ。

 競歩の成長の裏にはもうひとつ、長い歳月を超えた人と人との縁もあった。