9秒台と民族のロマン 桐生や多田に思いを託しても悪くはあるまい

別府育郎のスポーツ茶論
男子400メートルリレー予選で3走の桐生(右)からバトンを受けスタートするケンブリッジ=ロンドン(共同)

 ロンドン世界陸上は、ウサイン・ボルトが100メートルで敗れた大会として、歴史と記憶に残るのだろう。

 ある女性はブログにこう書いた。「ボルトのラストランに、間に合ってよかった。同時期に天才がいたせいで2番ばかり。一度は同じ土俵でガトリンに勝たせたかった。でないと、私の方がめげてしまう」

 誰に気持ちを投影させるかで、レースは見方が変わる。それは経験と哲学に基づくのだろう。女性に何があったかは知らないが。

 檻(おり)をこじ開けるおなじみのパフォーマンスを封印して、ガトリンは宿敵を下した。ボルトは彼を抱きしめ、耳元で「お前はヒーローに値する」とささやいたのだという。ガトリンは、トラックに泣き崩れた。

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 日本の3選手は準決勝で敗退し、10秒の壁も破れなかった。もっとも向かい風0・6メートルの予選を10秒05で楽に駆け抜けたサニブラウン・ハキームのスケールの大きな走りは、ごく近い将来の9秒台を予感させた。

 サニブラウンは、ガーナ人の父と日本人の母の間で日本に生まれた日本人である。心底、彼を応援している。ここからは少し、書くのが難しい。

 1968年メキシコ五輪で米国のハインズが初めて電動計時で10秒の壁を突破して以来、120人以上の9秒台ランナーが生まれており、そのほとんどがアフリカ系のルーツを持つ。

 サニブラウンやケンブリッジ飛鳥も、このグループに属する。

 アジア記録は現在、カタールのオグノデが持つ9秒93だが、彼はナイジェリア出身で、オイルマネーに国籍を売った選手だ。例外には欧州系でフランスのルメートルと、豪州のジョンソン(先住民族アボリジニとのハーフ)がおり、アジア系では、ロンドン世界陸上でも決勝に進んだ中国の蘇炳添の9秒99がある。

 日本人では1998年に伊東浩司が10秒00、2001年に朝原宣治が10秒02、03年に末続慎吾が10秒03、13年に桐生祥秀が10秒01を記録した。

 夢の9秒台はもはや目前と思われたが、その壁は依然、高く厚いままだ。

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 1935年6月、甲子園で行われたフィリピン対抗競技大会の100メートルで「暁の超特急」吉岡隆徳は手動計時10秒3の世界タイを記録した。この時、4人中2人の審判員の時計は10秒2で止まっていた。

 だが、「体の小さな日本人が世界新記録で走ったと世界は信用してくれるだろうか」と、自虐的な謀議の末に記録は世界タイに据え置かれた。幻の世界記録伝説である。

 吉岡はその後、ロケットスタートの飯島秀雄を育てて東京、メキシコ両五輪に挑んだが、決勝進出は果たせなかった。

 末続は走法に日本古来の「なんば走り」の特長を取り入れた。ロンドン世界陸上の準決勝で、60メートルまでボルトに先行した多田修平がこれを継承する。

 サニブラウンが9秒台で走ったときには、称賛を惜しまない。ケンブリッジの場合も同様である。

 ただそれでは甲子園の審判員の逡巡(しゅんじゅん)を打ち消したとはいえない。恵まれない体格でも努力と工夫で世界に迫った先人の系譜の延長上にあるとは言い難い。

 原始競技である100メートル走で「小さな日本人だってやればできるのだ」と胸を張ってみたいのは、いわば民族のロマンである。桐生や多田にその思いを託しても、悪くはあるまい。