インディ500を制覇した佐藤琢磨に教えられた価値判断

津田俊樹のスポーツ茶論

 歴史的快挙、偉業、金字塔。惜しみなく賛辞を並べても言い尽くせない。

 自動車レーサーの佐藤琢磨が5月下旬、米国で行われた「インディアナポリス500マイルレース(通称インディ500)」を制覇した。今年で101回目の伝統を誇るレースで、日本人ドライバーが頂点に立つのは初めてである。

 史上初制覇、賞金約2億7千万円、最高時速380キロ、観衆35万人-。とてつもなくインパクトのあるニュースだったにもかかわらず、報道の反応は鈍かった。スペースを割き、それなりに展開していたところはあったものの、概して地味な扱いだった。

 インディ500は、F1のモナコGP、ル・マン24時間とともに世界3大自動車レースに数えられる。

 テニスのウィンブルドンなどの4大大会、ゴルフの全英オープンなどのメジャータイトルを日本人選手が奪取したことに匹敵するといっても過言ではない。

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 新聞づくりは取材して記事化することから始まる。重要なのはニュースの価値判断である。これが難しい。締め切り時間との勝負なので即座に答えを出さなければならない。いわば「瞬間芸」、即断即決を求められる。

 その任にあったとき、何度も失敗し、悔やんだ経験があるだけに偉そうなことはいえない。

 今回のケースを振り返ると、米国人に強い思い入れのある「インディ500」で、日本人ドライバーが勝ったことをもっと大きく取り上げてほしかった。

 佐藤といえば、「ノーアタック、ノーチャンス」をモットーとする。「攻めて、攻めてこそ勝利がある」というチャレンジ精神を身上にしている。果敢に挑む勇気あふれるドライビング・テクニックで、ファンのハートをわしづかみにした。

 覇者としてニューヨーク証券取引所に招かれ、鐘を鳴らしたときの「琢磨スマイル」がさわやかだった。

 凱旋(がいせん)帰国後、各方面で取り上げられるようになったとはいえ、1カ月半が過ぎても悔いが残る。

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 突然、知人から話を切り出された。

 「父がパラリンピックのソウル大会に卓球の選手として出場しているんです」

 2020年東京五輪・パラリンピックに話題が及んだときだった。

 「尊敬する父に東京大会をみせてあげたい」

 会社の資料室で、1988年当時の記事を探したが見つけられず、国際パラリンピック委員会(IPC)のホームページで記録を確認できた。

 五輪報道は紙面にあふれるほど報じられているにもかかわらず、触れずじまいだった。92年バルセロナ五輪を取材しているが、パラリンピックが開幕する前に引き揚げてしまった。

 帰国後、ある現場で聞いたパラリンピック出場を目指す選手の言葉が忘れられない。

 「初めてですよ、スポーツ担当の記者さんが来てくれたのは。私はアスリートですからね」

 それでも、記事は紙面の端に追いやられた。記者としての認識、力量、アピール不足を痛感したのを覚えている。

 開催まで3年となり、十分とはいかないものの、パラリンピックの記事が埋没することはなくなった。

 佐藤琢磨の活躍は、ニュース価値の判断に磨きをかけるように教えてくれたのではないか。