滋賀県彦根市の大規模集落跡「稲部遺跡」から出土した古墳時代初頭(3世紀中頃)の矢入れ具「靫(ゆき)」。絹糸と植物繊維による綾(あや)織物が使われ、国内最古として注目を集めたが、邪馬台国の最有力候補地でヤマト王権発祥の地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)でも同時期の綾織物が見つかっていたことが判明、靫の可能性も指摘される。絹糸を使う綾織物は弥生時代にはみられず、古墳時代初頭に完成度の高い製品として出現しており、『魏志倭人伝』には、邪馬台国の使節団に、魏から絹織物が授けられたとの記述がある。同時期に存在した稲部、纒向両遺跡の綾織物。対中国外交を通した流入品、外来技術だったとの見方が出されており、入手できた稲部遺跡は、纒向クラスの大勢力だったのかもしれない。
弓矢収める武具
稲部遺跡で検出された居住域に伴う溝跡から、漆塗りの帯状繊維製品の破片12点が見つかったのは令和元年。保存処理とともに分析を進めたところ、箱状の矢筒に巻く横帯2本(長さ18・7センチと同17・1センチ)と確認された。弓矢を収める武具の靫とみられ、着装するためのひもを通す輪が付いていた。出土土器の年代観や放射性炭素年代測定により、3世紀中頃のものと分かった。
分析した元興寺文化財研究所(奈良市)によると、素材は撚(よ)りをかけた絹糸を縦糸に、植物繊維を横糸にして、デニム地のような綾杉文様を織り出す「綾織」の技法が使われていた。武具として使用するには、強度が必要なため、植物繊維を使用した綾織で作られたとみられる。表面には黒色物質を混ぜた漆が塗られていた。