歴史から目を背けず
終戦から78年がたったが、広島、長崎への原爆投下や終戦の日をめぐるメディアの報道が具体性に欠けた気がする。
1945年8月6日に、米軍B―29爆撃機「エノラ・ゲイ」(機長ポール・チベッツ大佐)から広島市の中心にある太田川を渡るTの字の形をする相生橋の上に、「リトルボーイ」という渾名(あだな)を持つ原爆が投下された。
同月9日、B―29爆撃機「ボックスカー」(機長チャールズ・スウィーニー少佐)から「ファットマン」という原爆が長崎市の三菱工場の上に投下された。
原爆投下の前に米軍は、日本各地の都市を焼夷(しょうい)弾などで空襲した。原爆投下や大空襲などの結果として、70万人以上の日本人の非戦闘者が亡くなった。先の大戦で日本列島で誰が、誰を殺したのか、はっきりしているのだ。
しかし、今年8月、以上のような史実がどこかへと吹っ飛ばされたような気がしてならない。日本の新聞やテレビなどを見ると、いったい誰が大空襲、原爆投下をやったのか、霧に包まれた謎のように言葉を濁される。広島や長崎で、たまたま天から降りた原爆が「平和」に対して攻撃したと言うかのような番組もあった。