岡田阪神研究(1)

岡田氏の監督復帰、阪急トップの決断だった

優勝ペナントを持つ阪急出身の阪神・杉山健博オーナー(左)と岡田彰布監督=14日、甲子園球場(撮影・安部光翁)
優勝ペナントを持つ阪急出身の阪神・杉山健博オーナー(左)と岡田彰布監督=14日、甲子園球場(撮影・安部光翁)

プロ野球阪神タイガースが14日、18年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた。「岡田監督の強いリーダーシップの下で見事に結実した」。誰よりも喜んだのは、同日夜、談話を発表した親会社の角和夫阪急阪神ホールディングス(HD)代表取締役会長兼グループCEO(最高経営責任者)だった。「グループの歴史に輝かしい一ページを加えてくれたことは、この上ない喜び」との言葉には「岡田阪神」誕生を決断したトップの思いが込められていた。

昨年9月、大阪・茶屋町にある阪急阪神ホールディングス(HD)の役員室に重苦しい空気が流れた。

「来季監督は岡田彰布(あきのぶ)氏に要請しなさい」

阪神の藤原崇起(たかおき)オーナー(現阪神電気鉄道相談役)の平田勝男2軍監督の昇格案は、角会長に瞬く間に却下され、阪神電鉄本社首脳の覚悟はあっけなく崩れた。

2006(平成18)年、村上ファンドに買い占められた阪神電鉄株を、阪急ホールディングスがTOB(株式公開買い付け)で買い取り経営統合した経緯がある。以降、角会長の言葉は重かった。9月22日、阪神は大阪市内のホテルで岡田氏に監督就任を要請。08年の辞任以来、15年ぶりの阪神監督復帰が決まった。

その約8カ月前の1月31日、矢野燿大(あきひろ)前監督が突然、春季キャンプがスタートする前日の全体ミーティングで退任を表明。「俺の中で今シーズンをもって監督は退任しようと思っている」。指揮官の前代未聞のシーズン前の退任発言はマスコミに大きく取り上げられ、動揺したのか、阪神は開幕から9連敗を喫し、最悪のスタート。かろうじて68勝71敗4分けの3位に終わる。17年連続のV逸…。次期監督の選定はチーム再建策の一丁目一番地だったが、阪神電鉄本社内では最後の最後までこんなやり取りが続いた。

「われわれは平田2軍監督の昇格で一本化している」「一刻も早く阪急側に平田昇格を承認させてほしい」

8月を迎えても阪神球団の次期監督リストに「岡田彰布」の名前はなかった。

そこには岡田監督への強いアレルギーがあった。前監督時代(2004年~08年)、岡田監督の歯に衣(きぬ)着せぬ発言などで球団首脳は何度も苦い思いをした。監督付広報担当は何人も交代。〝扱いにくい〟というイメージは阪神に浸透していた。さらに、角会長と早稲田大学の先輩後輩という間柄で昵懇(じっこん)の岡田氏を招聘(しょうへい)すれば、タイガースの主導権を阪急側に奪われる…という危機感があったのだろう。

ところが、晩夏を迎えても、藤原オーナーは動かなかった。その理由は、総帥・角会長の意中の人が誰であるか知り尽くしていたからだ。

球団運営に疑問 主導権握る

実は、角会長は早くから岡田監督の人間性や勝負師としての能力を高く評価しており、初めて岡田監督就任を希望したのは2014年に遡(さかのぼ)る。その時はチームが最終的に2位に食い込み、クライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに出場。最終的に和田豊監督は続投し、岡田監督の再登板は幻に消えた。翌年の15年も角会長は岡田監督復帰を希望するも阪神・坂井信也オーナーの希望で金本知憲(ともあき)監督が誕生している。

セ・リーグ優勝を決め胴上げされる阪神・岡田彰布監督=甲子園球場(撮影・宮沢宗士郎)
セ・リーグ優勝を決め胴上げされる阪神・岡田彰布監督=甲子園球場(撮影・宮沢宗士郎)

過去、阪神側の監督選びを尊重してきた角会長だったが、今度は引かなかった。経営統合以来、タイガースの優勝を待ち望んだが果たせないまま16年が過ぎた。チーム運営に対する疑問は膨れ上がり、矢野監督のキャンプ前日の退任発言や、その行動を事前に知りながら許可した球団に憤りを感じていた。さらに新型コロナウイルス禍で選手間にクラスター(感染者集団)が発生。角会長は、関係者に「阪神球団の危機管理能力は甘い」と苦言を呈したという。

角会長は昨年の5月のゴールデンウイーク中、岡田氏と西宮カントリー倶楽部(兵庫県)でラウンドをともにし、グータッチを交わした。その夜は宝塚ホテル(同)で会食、さりげなく再登板の意欲も確認した。その時すでに、角会長の腹は固まっていた。

岡田監督就任が10月に正式発表され、その2カ月後、阪急阪神HD社長の杉山健博(たけひろ)氏が、初めて阪急出身者としてタイガースのオーナーに就任した。タイガースの主導権が阪神から阪急に移った決定的な瞬間だった。

藤原前オーナーら阪神首脳が恐れていたことが現実となった。阪神側が候補にも挙げなかった岡田監督再登板は、タイガースの阪急支配の象徴的な人事だった。しかし、その結果が18年ぶりのリーグ優勝となった。〝角の決断〟はタイガースをリーグの頂点に導いた。勝負の世界は結果が全てである。

監督復帰、阪急トップの決断だったのイメージ


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