知の巨人⑨
※2001年6月1日 産経新聞掲載。敬称略
身を固め、父親に
足かけ3年に及んだ和歌山南部、那智勝浦での菌類や粘菌の調査を終えた南方熊楠は、1904(明治37)年、田辺町(現、田辺市)に、腰を落ち着けた。37歳。和歌山中学以来の旧友で、田辺で眼科と産婦人科を開業する、喜多幅武三郎らがいたためである。
熊楠はこの2年前にも田辺にしばらく逗留したことがあった。そのときは喜多幅家に世話になっていたが、今回は、亡父の知人だった多屋家で借家住まいを始めたのだった。
今年5月、一番の友人だった喜多幅の孫で、かつての喜多幅家の隣接地で電気販売店を経営する喜多幅陽一郎さん(57)を訪ねた。