終戦から78年を迎えた8月15日の各紙では例年のごとく、戦争に関するさまざまな論説が掲載された。日本が二度と戦争を起こしてはならない、という主張に異論はないが、個人的に気になったのは、「毎日」と「日経」がタレントのタモリ氏の「新しい戦前」という発言を引用して、現在の日本が太平洋戦争の直前に似ていると指摘し、警鐘を鳴らした点だ。
この発言は昨年末のテレビ番組において、2023年がどのような年になるか尋ねられた際のもののようだが、氏はこの言葉について具体的に説明していないので、その真意は測りかねる。ただかつて氏は戦争がなくならない理由として、「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ」と発言されている。これは争いが愛する者を守ることから生じるという核心をついており、深みのある言葉だと思う。そう考えると「新しい戦前」という言葉も深掘りしたくなる。
戦前昭和期についてわれわれが連想するのは、世界恐慌によって日本国民が貧困に窮し、その惨状を見かねた青年将校が反乱を起こし、最終的には政府の統制の及ばない軍部が独走して戦争を起こした、というものであろう。いわゆる「暗い」戦前社会のイメージである。
しかし井上寿一氏の研究によると、戦前昭和期は人々が集合住宅に住み始め、デパートで買い物をして、街の劇場でハリウッド映画を観(み)るような、大衆消費社会が到来しており、それなりに明るい社会の様相だったようだ。政治についても大衆民主主義化が進み、軍部による独裁化が進んでいたとはいえない。かの東条英機首相ですら、日中戦争から手を引けば、陸軍が国民から見放されてしまうことを恐れていたし、太平洋戦争開戦についても世論の後押しがあった側面は否定できない。
われわれが思い描く「暗い」イメージは、太平洋戦争後半の話であり、実は戦前はそれほどではなかった。確かに戦前に国民の貧富の格差が深刻化し、政府が国債を大量発行したことで経済が不安定化した点などは現在とも共通点がある。
他方、政治面では、戦前と戦後では大きく異なる。戦後は国民主権が貫かれ、軍部は廃止、平和憲法が制定されたことで、日本が侵略戦争を行うことは不可能となったし、日本を取り巻く安全保障環境も戦前とは別物といってよい。
つまり戦前昭和期の日本社会や経済状況は今日のそれと似通っている部分はあるが、政治や安全保障の分野は大きく異なっていると指摘できる。それを十把一からげにして「新しい戦前」という言葉を使うのは、牽強付会(けんきょうふかい)ではないだろうか。
◇
【プロフィル】小谷賢
こたに・けん 昭和48年、京都市生まれ。京都大大学院博士課程修了(学術博士)。専門は英国政治外交史、インテリジェンス研究。著書に『日本インテリジェンス史』など。