戦後78年

大阪城公園のサクラ、落語で平和語り継ぐ 桂花団治さん

戦争をテーマにした落語「じぃじの桜」を創作した桂花団治さん=大阪市東成区(彦野公太朗撮影)
戦争をテーマにした落語「じぃじの桜」を創作した桂花団治さん=大阪市東成区(彦野公太朗撮影)

戦後78年を迎えるこの夏、落語家、桂花団治さん(60)が、戦争をテーマにした落語を新たに創作した。軍需工場を狙う米軍の攻撃で多くの命が失われた大阪城公園(大阪市中央区)で近年植樹されたサクラを題材にした作品。花団治さんは、家族から愛される一本のサクラを巡る物語を噺(はな)すなかで、戦争体験を継承する重要性をかみしめている。

花団治さんはこれまでも、戦争で命を落とした先代花団治を取り上げた「防空壕(ぼうくうごう)」など、戦争を次世代に伝える「伝戦落語」の制作に取り組んできた。新作落語「じぃじの桜」は、主人公の「ぼく」がサクラの前で老人と出会い、かつての大阪城公園の姿をたどる内容となっている。

大阪城公園での植樹は、平成30年4月~令和2年3月に実際に行われた事業で、市が市民に寄付を募り、約200本のサクラが植えられた。

花団治さんの義父、藤井鉄雄さんも10万円を寄付した。2年4月、サクラが咲く様子をみることなく77歳で他界したが、倹約家の義父がなぜ突然寄付をしたのかをたどると、背景に空襲体験があることが分かった。

大阪城公園は義父の生家にほど近く、かつて東洋一といわれた大阪砲兵工廠(こうしょう)があった。戦時中、工廠は米軍の標的となり、城の石垣に刻まれた機銃掃射の痕跡など生々しい爪痕が残っている。

義父の姉に聞くと、幼い頃、家の近くで軍用機に機銃掃射で狙われ、必死に逃げた経験を打ち明けてくれた。父親を空襲で亡くした2人。義父は終戦時まだ3歳だった。

「今は大勢の人々が訪れる平和そのものの公園だけど、当時は小さな女の子まで撃たれ、多くの命が不条理に奪われた」

義父が平和への願いを託した桜。長女の詩ちゃんは「じぃじの桜」と呼んでいる(本人提供)
義父が平和への願いを託した桜。長女の詩ちゃんは「じぃじの桜」と呼んでいる(本人提供)

義父はまた、家族で打ち上げ花火を見に行こうという誘いにも決して応じなかった。「音が苦手やねん」。怪訝(けげん)に思っていたが、花火が爆撃音のように聞こえて怖がる戦争経験者が少なくないことを、後に知った。

「義父もそうだったんだと。語らなかっただけで、戦争は義父の心に大きな傷を残していた」

植樹に託した義父の思い。花団治さんは「多くの人が命を落としたあの場所に、平和の象徴のサクラを残したかったんだ」と気づいた。そして、戦争経験者に聞き取りを行うなかで、「もっといろんな人に昔の話を聞いておけばよかった」と強い後悔を感じる。

義父は、植樹の記念プレートに自身の名前や花団治さん、花団治さんの長女の詩(うた)ちゃん(5)らの名を刻んでおり、家族では「じぃじの桜」と呼んでいる。

花団治さんは、長女がもう少し大きくなったら「この木の下で義父の思い出や戦争の話がしたい」と思い描いている。

創作落語「じぃじの桜」は9月9日、大阪・天満天神繁昌亭(はんじょうてい)で行われる桂花団治さんの独演会で披露される。

(木ノ下めぐみ)

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