元首相の安倍晋三が凶弾に倒れて、1年が過ぎた。今月号の各論壇誌でも、一周忌のタイミングに合わせて安倍政権を振り返る特集が並んでいる。
思えば平成後期から令和初年にかけて、親安倍か反安倍かが政治をめぐる主要対立軸となった時期が長く続いたが、あれから内外ともに時代は急速に移り変わりつつある。歴代最長を記録した政権の終焉(しゅうえん)からすでに3年。歴史となるにはまだ早いが、その遺産を冷静に吟味できるだけの距離を生むには十分な時間だ。もちろん、顕彰と断罪のいずれか一方に終始する論はいまだ多い。だが、そうした党派的な枠を超えて、功罪を見据えた論考も出そろってきた。
保守系誌「Voice」の特集「安倍時代を問う」の座談会「期待と失望を繰り返した『闘う政治家』」(苅部直、ケビン・M・ドーク、細谷雄一)では、世論を二分するような問題に批判を恐れず挑む「闘う政治家」という表面的なイメージと、実のところ長年の持論であっても抵抗が大きいと見て取るとあえて進めることはしない柔軟さ、悪く言えば一貫性のなさという安倍の持つ二面性が論じられる。
結果として、安倍が第1次政権時代から強い意欲を示し続けた憲法改正などは、ついに具体的に着手されることがなかった。国際政治学者の細谷は、「リアリストとして日本のさまざまな限界を認識していながら、そのうえで可能性を増やそうと考えたのが安倍晋三という政治家です。その姿に多くの人が期待を寄せましたが、思ったほどに課題が解決されないことに失望した人も少なくありませんでした」と結論付ける。思想史家の苅部もまた、「現時点で取り組むべき課題の優先順位をつねに考え、みずからの主義に固執することもしなかった。政治の技術のそうした熟練が、八年の長きにわたって政権を維持した鍵だったのではないでしょうか」と述べ、いわゆる官邸官僚を駆使して政策の総合調整を図った手法も含め、政治技術の巧者として安倍を読み解く。
安倍批判を長年展開してきた「世界」の特集「安倍政治の決算」内の対談「岸田政権は安倍政権の呪縛を解けるか」(後藤謙次、牧原出)も、安倍に非好意的な立場から、期せずして似たような結論に至っているのが面白い。
政治学者の牧原は、「私が安倍政権の功とするのは、消費税一〇%を実行したこと」「あれだけ財務省を敵視しながら、安倍さんなりに責任を果たそうとした」と一定の評価を与えた上で、増税という「この重い政治課題を手掛けたら、他の課題、たとえば改憲などとてもできません」と指摘し、政治家として主義主張よりも眼前の課題を優先させたとみる。
そのような融通無碍(むげ)な姿勢は長期政権を可能にしたものの、「二〇一五年に安保法制が成立した時点で、この政権はもはややるべき課題を見失いました」と牧原が語るように、特に後半になるにつれて取り組む課題が場当たり的になり、政権維持自体が目的化していった感は否めない。「第二次政権が、日本に安定をもたらしたことは確かです。けれども、現在の日本は停滞もしている。(中略)財政や経済がこのような手詰まりになることは最初から予想されていたし、地方創生、女性活躍、全世代型社会保障と、どれをとっても内政は中途半端なままです」(牧原)という評は辛辣(しんらつ)だが、実は「Voice」の座談会での議論とそれほどかけ離れているわけではないだろう。
未来の幹部自衛官を育成する防衛大学校をめぐり、現役教官の「告発」がインターネットで話題を呼んでいる。防大教授で政治外交史研究者の等松春夫による「自殺未遂、脱走、不審火、新入生をカモにした賭博事件…改革急務の危機に瀕(ひん)する防衛大学校の歪(ゆが)んだ教育」(「集英社オンライン」6月30日)をはじめとする一連の談話や論考は、戦後78年のひずみがもたらした憂うべき自衛隊幹部教育の実情を明らかにする。
等松の問題提起は、むろん自衛隊の否定や弱体化を願うものではない。むしろ「刻々と変化する安全保障環境と技術革新に柔軟に対応できる、想像力と論理的思考力を持つ幹部自衛官がいなければ、自衛隊を十全に機能させることは不可能」という危機意識から、先輩への思考停止的服従をたたき込む防大のいびつな教育や、国際水準の学識に欠けた高級幹部が陰謀論を真に受けたり「怪しげな論客」の出入りを許したりする自衛隊の現状を批判するものだ。
この等松の告発を受け、防衛研究所講師などを歴任した現代史家の大木毅は、問題の根本を「自衛隊という世界有数の戦力を有する組織が、しかし、軍隊ではないという、矛盾した存在であること」「自衛隊が存在する目的は曖昧なままとされ、自衛官が有事において命懸けで任務を遂行する理由づけ、動機づけも、形式的・表層的にしか与えられなかった」ことだと鋭く見定める。(「防大と諸幹部学校の現状改善は急務だが、自衛隊の存在意義と規範の確定がなければ、問題の根絶は期待できない」同7月12日)。
自分たちは、何のために命を懸けるのか。「この欠落を埋めるために、多くの幹部自衛官が頼ったのは、直接の先輩であった旧陸海軍の価値観、つまり戦前の国防観ではなかったか」と大木は喝破する。だが、戦後日本が重ねた78年間は、既に大日本帝国の存在期間より長くなっている。その安全を守ってきた自衛隊の歴史は、それ自体で十分誇るに足るものだ。「民主主義国家の自由と繁栄を守る崇高な任務についているとの誇りを強調し、より適切な自衛官の防衛意識をつちかうための規範を打ち立てることは、けっして困難ではないはずだ。悪弊を根本的に除去するには、そこに手をつけなければならないのではなかろうか」と、大木は説く。
安定と停滞の「安倍時代」は終わり、そこで先送りにされていたものが今、いよいよ眼前の課題として姿を現してきたといえよう。(敬称略)