創業110年の「黒いダイヤ」を手放した三井松島HD M&A戦略で描く脱炭素時代

三井松島ホールディングス(HD)が事業を手掛けるオーストラリアのリデル炭鉱。延長採掘が認められず、同HDは石炭事業から撤退する(同HD提供)
三井松島ホールディングス(HD)が事業を手掛けるオーストラリアのリデル炭鉱。延長採掘が認められず、同HDは石炭事業から撤退する(同HD提供)

大正2年の創業以来、110年にわたり石炭事業を手掛けてきた三井松島ホールディングス(HD、福岡市)が、今年度で石炭事業を終了する。日本の高度経済成長や基幹産業を支えてきた同社の撤退は、国内のエネルギー環境の転換を象徴する。脱炭素時代の到来を受け、同社は石炭事業に頼らない収益構造への転換に実に10年以上の年月を費やした。祖業を手放し、会社を存続させるため、同社が着目したのはM&A(企業の合併・買収)だ。

「石炭事業が終わることは想定の範囲内だった。来年度は石炭のない新しい形の会社として勝負する」。吉岡泰士社長は5月15日の記者会見で説明し、石炭事業からの撤退を表明した。

三井松島ホールディングスが操業していた池島採炭で坑内に入る従業員(同HD提供)
三井松島ホールディングスが操業していた池島採炭で坑内に入る従業員(同HD提供)

同社は創業から平成13年まで88年間、国内で石炭事業を営み、その後は海外で事業を展開。オーストラリア南東部にあるリデル炭鉱の権益を保有し、産出する石炭を国内の製鉄会社などに販売してきた。

三井松島ホールディングスの創業地で、長崎県の離島、松島にあった松島炭鉱 (同HD提供)
三井松島ホールディングスの創業地で、長崎県の離島、松島にあった松島炭鉱 (同HD提供)

既存鉱区の採掘が9月に終了するにあたり、鉱区を延長して採掘を続けるか、事業を終了するか検討していたが、豪州当局が延長区域に先住民族の関係施設が存在するとして延長採掘を認めなかった。世界の脱炭素の潮流を踏まえ、同社はすでに新たな炭鉱の権益は取得しないことを決めており、リデル炭鉱での事業終了で石炭事業からの撤退が事実上確定した。

吉岡氏は「過去の事業の積み上げがあって会社が110年を迎えたことは重く受け止めている。石炭とは異なる事業の集合体として111年目を歩み出す」と強調した。

危機感を共有

同社が石炭以外の新たな収益基盤確保に向けて動き出したのは、13年前にさかのぼる。当時社長だった串間新一郎会長は、欧州企業が再生可能エネルギーの採用を加速しているというドキュメンタリー番組に衝撃を受けた。当時はまだ、今ほど脱炭素が叫ばれてはいなかったが「この流れは想像より早くやってくるかもしれない」と危機感を抱いた。

当時は石炭以外の不採算事業を整理し、売上高の9割以上を石炭事業が占めるほど依存していた。石炭事業は好調で会社の業績回復に貢献していたが、一方で、石炭価格が急落したときに打撃を受けることも予想できた。

経営陣には石炭事業の拡大や新たな権益への出資を求める声もあった。しかし、旧三井銀行(現三井住友銀行)出身の串間氏は、危機感の共有を図って新規事業の立ち上げを提案し、「20年後に本当に会社がやっていけるのか。業績が好調なときこそ手を打つ必要がある」と説得した。

当時の心境について「会社が元気なうちでないと、金融機関からの借り入れができなくなり、座して死を待つ状況になる。どうすれば会社が生き残れるかを必死に考えた」と振り返る。

M&Aに着目

事業転換について語る三井松島ホールディングスの串間新一郎会長(左)と吉岡泰士社長
事業転換について語る三井松島ホールディングスの串間新一郎会長(左)と吉岡泰士社長

しかし、新規事業を立ちあげるにも社内に専門人材はおらず、新たな収益の柱づくりは難航した。その中で着目したのがM&A(企業の合併・買収)だった。安定収益が確保でき、買収した企業の事業継承にもつながる。M&Aアドバイザリー会社に勤めていた吉岡氏を迎え、ストロー会社や紳士服メーカーなどを子会社化していった。

石炭会社が手掛けるM&Aに、「どこに向かっているんだ」と社内外から批判を受けたが、子会社化した会社が計画通りの実績を上げると異論の声は弱まった。その後、中国経済の減速で石炭価格は急落し、2015年のパリ協定採択などで、先進国を中心に脱炭素の取り組みが加速。金融機関の石炭事業に対する融資姿勢も厳しくなった。

同社は石炭事業の縮小・撤退を見込み、年1社のペースでM&Aを進めた。非石炭事業の利益が会社を支えるようになり、平成29年度に16億円だった非石炭事業の営業利益は、令和4年度には42億円に伸びた。子会社化した会社は現在9社となった。

串間氏は「環境が変わるときはみんな反対するが、危機感を共有し、計画通り結果を出したことで前に進めた。会社は過去にも多くの危機があったが、当時の経営者の判断があり、それぞれが経営をつないでくれたからこそ会社が110年つながった」と話す。串間氏は、吉岡氏を社長に起用するにあたり、取締役らの理解を得るのに2年をかけたという。

新たな会社の姿

同社は今年1本のPR動画を作成した。子会社化した企業の事業継承について伝える内容で、投資持ち株会社、事業継承会社として歩むメッセージを込めた。

吉岡氏は石炭事業からの撤退を機に、営業利益が5億円程度の会社を1年間で複数社買収する意向を示す。しかしM&Aは、買収する企業の事業内容や需要、収益の安定性などを見極める力が必要で、買収後の支援も欠かせない。吉岡氏は「M&Aはリスクのある投資でもあり、1件も失敗させないという思いでやっている。投資した大切なお金を無駄にしたり、次の世代に苦労を負わせたりすることは避けたい」と気を引き締める。

社内には金融業界出身者によるチームを設け、迅速な判断ができる体制づくりや目利き力の向上を図っている。合わせて、複数社のM&Aを手掛けた先の会社のビジョンを描くことも、110年以降を生きるための課題となっている。(一居真由子)

三井松島ホールディングス 社名にある松島は長崎県西海市の離島、松島に由来。大正2年、この地で石炭採掘を行う「松島炭鉱」を設立し、九州最後の炭鉱となった池島炭鉱(長崎市)が平成13年に閉山するまで国内で石炭を産出。その後は、オーストラリアのリデル炭鉱やインドネシアなどで石炭事業を展開してきた。

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